10月22日 福音の真理の実践

適度な運動・食習慣の改善・整理整頓など、“やるべきだ”とわかっていてもやらない人はいませんか。それは知っていても実行しない、知識があっても実践しない、認識があっても行動に移さない人のことです。それは理解していることとは矛盾した行動をとる人のことです。
今回の箇所でパウロは、信じていることと、行動とが一致していないケパを非難しています。このような信仰者の矛盾した行動はしばしば起こることです。今回は福音の真理(みことばの真実)の実践について二つのことを考えてみたいと思います。(ガラテヤ2:11~16)

I. 福音の真理に従って歩むことは、クリスチャンに与えられた日々の課題である(11~14節)→今回の箇所は、エルサレム会議(使徒15章)の後の出来事であると思われます。ここでケパはパウロに責められています。ケパは異邦人と交流し食事をともにするようになっていました。(このような行動は以前からユダヤ人が避けてきたことです。ユダヤ人から見たときに異邦人は汚れた存在であるとされてきたからです。)しかしケパは、ユダヤ主義者たちがアンテオケに来ると、少しずつ異邦人に距離を置き始め、異邦人と接触することをやめてしまったのです。彼は何らかの理由で彼ら(ユダヤ主義者=律法主義者)を恐れたからです。彼の行動は他のユダヤ人クリスチャンたち、そしてバルナバにも影響を与えました。パウロはケパたちのふるまいを“偽善的行動”と認識しています。ケパはユダヤ主義者たちの誤りを当然認識していました。彼らの“行いによる救い”の主張が間違っていることを知っていました。そうでありながら、ここにきてケパはユダヤ主義者たちと歩調を合わせたのです。ケパたちは福音の真理に向かってまっすぐに歩いてはいなかったのです。このことは公の場で起こりました。ですからパウロは公の場でケパを責めています。ケパの行動は一貫性を欠くものであり、キリスト様の死と復活を通して、神の恵みによってのみ、信仰によってのみ与えられるはずの救いの条件に、人(律法)の行いを加える必要があると主張する人々に同調するものであったからです。
福音に同意し理解し受け入れるだけでは充分ではありません。クリスチャンは福音(みことば)を、一貫性をもって実践し、自身の歩みの隅々にまでいきわたらせなければならないのです。

II. 福音の真理に従って歩むことは、神様がイエス様にあってなされたみわざゆえに可能である(15~16節)→パウロは、人が救われる方法であり、またクリスチャンが真理に従って生活することができる土台でもある義認について説明しています。「義と認められる」は法廷における用語で、“正しい、或いは無罪と宣言される”ことを意味します。すべての人には罪があるため、誰も神様の義の標準に達することはできません。(ローマ3:23)しかし、キリスト様を救い主と信じる人は(キリスト様の死と復活に基づいて)、神様の前に義と認められるのです。神の義がその人に転嫁されるのです。(人の罪は、罪のないお方であり、身代わりに死なれたキリスト様に転嫁されることによりゆるされるのです。)義認は神様の側の法的措置であり、人の功績とは無関係です。(詩篇143:2; ローマ3:20)人がキリスト様に対する信仰をもち、キリスト様と一つになる時、このみわざ(義認)はおこなわれるのです。この事実を出発点として、クリスチャンは神様のお考えに沿った歩みをしていくことができるのです。

まとめ:福音の真理の実践はチャレンジではあるが、主にあって可能である →イエス・キリスト様を自分の個人的な救い主として信じた人は、罪がゆるされ、神様の前に正しい者として取り扱われます。信じた人は変えられるのです。しかし、救われる前の後遺症があります。古い自分がなお頭をもたげてきます。神様をお喜ばせしたいと思っていても、罪の性質ゆえに自分を喜ばせようとしてしまいます。神様の前に正しい行いをしようと思っても結果的に間違ったことをしてしまいます。なすべきことがわかっていてもできない私がいます。みことばを正しく理解していても生活でそれを実践できない弱い、罪深い私がいます。
私はどのようにして今の立場を得たのでしょうか。私が救われたのは、神様の恵みによります。私が今立つことができるのは、神の義認によるのです。私は、救いにおいて、罪のゆるしにおいて、義認において、何もしなかったし、できませんでした。ですから、私は常に福音の真理に帰らなければなりません。みことばの真実にもどらなければなりません。神の恵みによる救い、そして義認を覚え、主を信じ頼って恵みによってみことばを実践させていただかなければなりません。罪の性質がもたらす影響、そして回心前の歩みの後遺症は大きなものではありますが、神の恵みはそれに勝るものであることを信じなければなりません。

 

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