6月4日 究極の喜び

人が生きていくためには、供給・保護・喜びが必要です。今回は喜びについて考えてみましょう。神様がはじめに人を造ってくださった時、人は、必要とするものを神様から供給され、保護され、喜びを経験することができました。しかし神様に対して罪を犯した結果、人は自分自身で必要を供給し、自分で自分を守らなければならなくなり、究極の喜びを経験できなくなりました。個人、家族、国、地域によって多少の差こそあれ、それは負の遺産としてすべての人の上にのしかかっています。
神様の、人に対する救いの計画、つまり御子イエス・キリスト様の十字架の死と復活は、神様からの永遠にわたる供給・保護・喜びの回復を可能としました。(黙示録21:3-4)喜びの表現の度合いは年齢によって違いがあります。同じものをもらっても、子供であるならば、喜びを興奮で表現するかもしれませんが、年を重ねていくと淡々としたとらえ方になるかもしれません。いずれにせよ、この世の中で体験できる喜びには限りがあります。

先ず ①喜びのない原因を考えてみましょう。それは最初の人の罪にあり(創世記3:18-19)、神様から離れていることにあり(ルカ15:12-18)、悪者であることにあり(イザヤ57:21)、罪を伴う楽しみを求めることにあります。(へブル11:25)人工的なものによっては真の喜びを経験できないどころか、罪深いものとなっていくことがしばしばで、結果的に苦しみや悲しみをもたらすのです。

②喜びの源泉とはなんでしょうか。それは神様であり(詩篇16:11; イザヤ29:19)、主イエス様のみことばであり(ヨハネ15:11)、聖霊です。(ローマ14:17)イエス様は私たち罪人のすべての必要を満たすため、また私たちに究極の喜びをもたらすために十字架の苦しみを受けてくださいました。私たちが経験できる喜びはイエス様の苦しみの忍耐が土台となっているのです。イエス様を信じた人も、イエス様のために何らかの苦労をするかもしれませんが、神様は朽ちることのない褒美の約束をしてくださっています。みことばを吸収して歩み、聖霊なる神様の導きに従う人には喜びが与えられます。もし喜びを経験していないのであれば、今一度信仰の歩みを点検する必要があります。

③喜びを経験する条件は、主イエス様を信ずることであり(使徒16:34)、主イエス様を見ることであり(ヨハネ20:20)、祈ることであり(ヨハネ16:24)、神様との交流をすることです。(ヨハネ第一1:3-4)

④喜びの結果は、忍耐強くなることであり(ローマ5:3)、奉仕者となることです。(詩篇100:2)

神様から喜びを与えられている私たちは、その存在を通して人に喜びを供給することができるのです。クリスチャンの人生は、“食って、寝て、また起きて、墓穴にたどりつく”などという空しいものでは決してありません。クリスチャンの特権を認識し、喜びに満たされて歩もうではありませんか。

 

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