私たちは神様から与えられたメッセージ(聖書のことば)を正しく忠実に教え、学び、神様の助けによって実践しようと努めている単立の教会です。自然豊かな養老山麓にある私たちの集いに是非お越し頂き「心の休息」を体験なさってはいかがでしょうか。

牧師プロフィール

牧師 永田鉦二

名古屋市出身。1951年18歳の時 ヨハネの福音書を
読んで イエス・キリスト様を救い主として信ずる。
その後伝道・牧会の道に入り現在に至る。

家族は6人の子供(2男4女)、孫8人。

 

 

信 仰 告 白

私たちは次のことを信じています。

1. 聖書
旧新約六十六巻の聖書は神様の霊感によって記され、原典において完全であり誤りのない御言葉である。この聖書は信仰と行為の唯一の規範である。

2. 三位一体の神様
神様は唯一でその存在・知恵・能力・聖・義・善・真実において無限、永遠かつ不変の霊であられ天地万物の創造主であられる。神様には父と子と聖霊なる三つの神格があり本質において同一、能力と栄光において同等であられる。

3. 人間の堕落
神様によって創造された最初の人間は神様に対して罪を犯すことにより堕落した。それゆえ彼の子孫である全人類は神様に対して罪を犯した者、堕落した者となった。

4. キリスト様
神様は御子なる神イエス・キリスト様を唯一の贖い主として処女マリヤから生まれさせられた。イエス・キリスト様は犠牲として御自分を一度ささげられ、すべて信ずる者の身代わりとして十字架にかかり、死に、葬られ、三日目に死人の中から甦り、後に昇天し、神様の右に座しておられる。

5. 救い
神様はある者を永遠の生命に選ばれる。御聖霊は私たちの中に信仰をおこし、救いの業を成し遂げてくださるキリスト様を受け入れさせてくださる。

6. 教会
この地上の教会は福音を信じてバプテスマを受けた信者の群れであり、礼典を守り、神様の支配に従い、キリスト様の御言葉に示された賜物・権利・恵み等にあずかる。

7. バプテスマと主の晩餐
バプテスマは父・子・聖霊の御名において行われる信者への水の浸礼であり、これにより死に、葬られ、又甦られたキリスト様と一体となったことをあらわす。主の晩餐はパンと葡萄液を用い自らを省みて後、キリスト様が犠牲として与えられた御体と、流された御血を記念するために行われる。この礼典はキリスト様の再臨を待ち望みつつその時まで守られるものである。

8. 政教の分離
教会と国家の間には完全な分離がなければならない。いかなる政府、又地上のいかなる権力も一個人の良心を束縛する権利を持ってはいない。私たちは主の主、王の王であられるキリスト様の御心に反しない限り、神様のゆるしておられる国家、政府のために祈り、又従うべきである。

9. 終末
主イエス・キリスト様はこの世の終りに信者を御自分のところに召し、不信者をさばく目的のために再びこの地上に来られる。

救いの体験談

 私の家庭は仏教で、今まで初詣に行ったり墓参りに行ったりしていましたが、それが当たり前のことだと思っていました。そんな私がまことの神様を知り、本当の救いの体験をすることになったのです。

人に認められたい

私は「神様はたぶんいるんだろうな」とは思っていましたが、直接自分に関係があるとは正直考えていませんでした。神様がどのような方で、人間はどのように生きるべきかということも知らず、これといった人生の目的もなく、ただなんとなく生きてきました。その一方でいつも周りの人と自分を見比べ「あの人より自分は楽しい生活を送ることができている」とか、「あの人よりつまらない生活を送っている」とか、会社でも「あの人より評価が良かった」とか「悪かった」等、何に対しても他人と自分とを比べることで、自分の価値を見出そうとしていました。とにかく他の人よりいい生き方をし、「みんなに認められたい」といつも周りの人の目を気にして生きてきました。「他人に認められたい」という思いで仕事やその他のことで自分なりに努力はしてきましたがうまくいかず、「どうして自分だけうまくいかないんだろう」とイライラし、歳を重ねるごとに「このままでいいのか」と不安や焦りが非常にありました。それと同時によく自分は「何のために生きているんだろう」と考えるようになりました。

私は生かされている

そんなうまくいかない、不安や焦りの中で、高校時代からの友人に聖書について教えてもらいました。私は以前から「キリスト教は外国の宗教で日本人の自分にはまったく関係ない」と思っていましたが、その友人は私に神様についていろいろ話をしてくれました。一番その時に印象に残っているのは「お前は明日のことがわかるか」と質問されたことです。そして人間は神様によって生かされているということを聞いた時にハッとしました。たしかに自分一人の力では生まれることも出来ませんし、親も自分で選ぶことが出来ません。容姿も自分で決めることは出来ず、明日何があるかも知ることは出来ません。食べる物、飲む物、そして空気もこの世になければ生きることは出来ません。さまざまなものが「与えられる」ことによって今の自分が存在していると思った時に、「自分は自分の力で生きているのではなく、この世界を造られた神様の恵みによって生かされている」ということがわかりました。それから聖書に何が書いてあるのかとても気になり、初めは言い出しにくかったのですが、友人に頼んで聖書を手に入れ読むようになりました。

私は罪人

 聖書には神様がどのようなお方であるか、人間とはどういう存在であるか、そして人間はどのように生きるべきかが書かれていました。ローマ書3章23節に「すべての人は、罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず」とあり、ヘブル書9章27節には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と書かれていました。自分が死ぬということは知っていましたが、死後にさばきを受け、また罪を犯しているために、地獄に行かなければならないということを初めて知りました。私は今までの人生で悪口を言ったり、嘘をついたり、親に逆らったり、自分を造り、生かしておられる唯一の神様を神様と認めず自分勝手に生き、正しい神様の前では、「一つも罪を犯していない」と決して言えない者でした。そのため「地獄に行くことは仕方がない」とは思いましたが、正直ショックでした。

イエス様は私の救い主

そんな私に対して神様はあわれんで下さり、救いの道を与えてくださいました。ヨハネの福音書3章16節に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と書かれています。神様は御自分の御子であられるイエス様を、救い主としてこの世界に遣わしてくださいました。そして完全な神であられ、完全な人であられるイエス様は、私が受けるはずの罰を代わりに受けて下さり、十字架で死んでくださいました。それを知った時「良かった」と安心した思いと「本当に自分に関係があるのか」という思いで半信半疑の状態でした。初めはどうしてもイエス様の十字架の死と、自分の罪がゆるされることとが結びつきませんでした。ただ自分の今までの人生で知らず知らずのうちにイエス様と関係がある事を目の当たりにしていました。たとえば友人達の結婚式では、意味もわからず賛美歌を歌ったことが何度かあります。またその式では牧師が読む聖書のことば、そして新郎新婦の誓いの言葉も聞いたことがあります。世間では「信ずる者は救われる」ということも以前から耳にしたことが何度かありました。さらに日本人でありながらクリスマスも毎年お祝いしていました。また西暦のことになりますが、この年数もイエス様の誕生と関係があること等を考えると、今まで「イエス様は自分にこんなにも関わりがあったのだ」と気付き、今まで以上に聖書を読むようになりました。ローマ書8章28節の「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」という箇所を読んだ時に、神様のみことばに従って生きていくならば、神様が働いてくださって自分の歩みを助けてくださると知り、今までずっと抱えていた将来の不安や焦りがなくなり、何より神様の働きによって、聖書に書かれている事が自分の事であるとわかり、イエス様が自分の身代わりに十字架の上で死んでくださったことを信ずることができました。

失望から希望へ

 今までは、他人と比べてとにかく「人に認められたい」と思い、でも何をやってもうまくいかず「どうせ自分はダメだ」と投げやりの人生でいつも不安や焦りやイライラの日々を送っていましたが、イエス様を信じてからは、「他人と比べて自分はどうだろうか」等を考えなくてもよくなりました。仕事においても地味で目立たなくて面倒な仕事でも、神様がいつも見ていてくださるということで高いモチベーションで仕事にも臨むことができます。そして何より自分は神様によって生かされ、その神様に喜ばれる生き方をするというはっきりとした人生の目的がわかりました。今はこれまでに感じたことのない安心感があり、この先の人生の希望が与えられています。また死んだ後についても、自分はイエス様を救い主と信じて罪がゆるされているため、天国に行くことが出来るという心の平安があり、本当に神様に感謝しています。第二ペテロ3章9節には、神様が「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」と書かれています。特に今まで育ててもらった家族の皆やお世話になった会社の人たち、そしていろいろな場面で助けてもらった友人たちには「絶対に地獄に行ってもらいたくない」と私は思っていますので、人にどのように言われどのように思われても「救い」についてはこれからもさらに話をして、一人でも多くの人が救われるように神様に祈っていきたいと思っています。そして今までの不安や焦りや投げやりの人生から救い出され、地獄へ行くべきはずの私を救ってくださった神様に感謝し、これからは私たちを造り、生かしていてくださっている神様に喜んでいただくことのできる生き方をしていきたいと思います。

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