救いの体験談:Rさんの場合

私は九州の熊本で5人兄弟の3番目に生まれ、長崎で育ちました。私が中学卒業の時期を迎えた時、高校へ行かせて貰うゆとりがなく、私は美容師を目指しました。免許を取得した頃、どうしても高校進学をあきらめきれず、17歳から定時制で学びました。4年後、岐阜県安八町にある大手メーカーから求人があり、短大へ行かせて貰えるという条件で入社しました。私は元々足が弱く、製造部門では少し無理があり、部品を検査する間接部門へ配属されました。仕事が終わると、迎えに来ている短大行きのバスに乗り、2年間を無事終了しました。

専門コースは幼児教育学科ですので、友人たちの多くは地元へ帰り、幼稚園や保育園に勤めたり、或いは結婚したりして辞めていきます。私も実は、密かに結婚を考えている人がいました。仕事の関係で毎日顔を合わせる相手です。グループでお付き合いをしていましたし、ごく自然に親しくなっていきました。仲間からも結婚を勧められ、私も意思を伝えました。ところが、当の本人は「友人でいてほしかった」と言う結果になり、私の結婚への思いは壊れて、失恋したと言うことであります。その後、何をするにも気力が入らず、もう消えて無くなりたい気分でした。かと言って、死ぬほどの勇気もなく、只うなだれていました。

そんな時、同じ職場にいるクリスチャンの友人が、黙って1冊の本を持ってきて読んで聞かせてくれました。それは「聖書」でした。
コリント人への手紙第一13章、愛の章と言われている箇所です。

『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、
高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません…』

「不思議な書物だなあ~」というのが私の第一印象でした。今までの私に欠けていたものが諭され、心の中を見抜かれた様な、また純粋で犠牲的な愛が記されています。狭い視野の中で物事を見てきた私には、まだまだ知るべき事があったと認識致しました。

以前から「赤毛のアン」を読んだり、「ジェーン・エア」の洋画を観たりして、教会には関心がありましたが、出かけて行くきっかけもありませんでした。そんな私が、やっと教会の門をくぐる事が出来るように神様がお導きくださり、今日にまで至っております。

聖書を読んだり聞いたりしていくうちに、人の苦しみ悲しみの原因は「罪」であり、それは人が死ぬ事と結び付いていて、死後の審判にまでつながっている事を知り、愕然としました。そうであるなら助かる方法、救われる方法は無いのでしょうかと私も考えました。神様は語っておられます。『主イエスを信じなさい…あなたもあなたの家族も救われます』イエス様が十字架ではりつけになって死なれたのは、私が受けるはずの罪の罰を身代わりに受けてくださったのだと知りました。天地万物をお造りくださった唯お一人なる御方が、私たち罪人のためにお送りくださった救い主を私は受け入れました。罪は赦され、永遠の命もいただき、それから失恋の痛手は癒され、さらに勝っている結婚へと導いてくださいました。

どうぞ皆様、聖書をお読みになり真実の神様とお出会いなさって、永遠の幸いをご自分のものとなさいます様にお勧め致します。

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