神の偉大さ

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一年の最終日に一番顧みるべきことは、自分が今年何をしたかということではなく、神様がどのようなお方であられたかということです。“創造の詩篇”(創造の歌)と言われる箇所から神様の偉大さを黙想したいと思います。(詩篇 8:1~9)

神の御名(1、9節): 神様のお名前は、神様のすべての属性(ご性質)を取り巻いているご人格をあらわしています。その影響力と質は最高のものです。お名前から放たれる力は、勝利、さばき、教え、被造物の統治にあらわされています。すべての被造物は神様の御名の力と栄光を示すのです。

神の威光(1節): “威光”とは人をおそれさせ、従わせる力や勢いを意味します。神様のご威光は人を圧倒し、賛美を引き出します。

神の御力(誉れ)(2節): 神様の栄光は打ち立てられており誰も太刀打ちできません。幼子と異教徒との応答の違いが比較されています。他者に依存するしかない幼子が神様を賛美する者にたとえられ、敵対するうぬぼれの強い者達と比較されています。神の敵である者たちの耳障りなさわぎは幼い子供たちの賛美によって覆われるのです。彼らの邪悪が、天地における神様の栄光が示すものを覆すことはできません。

神の創造(3節): 天は神様の創造物です。(詩篇33:6; 102:25; 136:5)神様は最高の繊細な彫刻家として創造されたのです。この節には神様のスケールの大きさと被造物の小ささが表現されています。全宇宙は神様の栄光、知恵、力を示し続けているのです。

神の顧み(4節): 宇宙が創造主の目に小さいものであるなら、人の存在はどんなに小さいものでしょう。人は弱くもろい存在です。それでいて、スケールがとてつもなく大きい創造主が人に対して配慮(思い/ケア)されるとはどのように理解すればよいのでしょう。私たちは、自分自身を神様の前にあって正しく評価しなければなりません。地の者でありながら神様の特別の注目の対象となっていることに驚くべきです。神様は、人に対してさばきではなく祝福をもって臨んでおられます。神様は引き続き人を顧みておられます。神様は今年私たちをどのように心に留められ顧みられたでしょうか。私たちは(自分がしたことではなく)神様のみわざを証しするべきではないでしょうか。

神の計画(5~8節): 神様はなぜこのような存在に栄光をお授けになるのでしょうか。人は堕落してもなお栄光ある存在として取り扱われています。栄光と誉れはそもそも神様の王としてのご性質です。それが人に差し出されたのです。詩篇の筆者は人の堕落を念頭に置いていないかのごとく、神様の(御父としての)愛とケアに焦点を置き、このことを表現しています。人は神ではありません。一方、地のものではありますが、獣とは違います。人は神様のかたちに造られ、他の被造物を治める役割を仰せつかったのです。しかし、堕落したゆえに、人はその役割を十分には果たすことができなくなったことも事実です。

まとめ:神様の偉大さゆえに賛美をささげる
神様の素晴らしさを想う時、自分、そして自分がしたことはぼやけていきます。神様の偉大さを想う時、自分が誇ることができるようなものではないことを認識します。むしろ偉大な神様が自分を顧みておられることにたじろぐのみです。今年神様がなさったみわざを覚え、数え、深い感謝と賛美をおささげしましょう。

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