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聖書が教える救いについて、これまで、①神様が人間のために救いを準備されたこと、②救いを与えられたこと、を学んできました。今回からは、準備され与えられた救いを、神様は持続してくださる(保ってくださる)ことについて学んでいきます。まず聖化に焦点をあてます。クリスチャンが経験する聖さには①立場においては聖い者とされているということと、②より聖い歩みを追求していく、という二つの側面があります。それを踏まえた上で、今回は聖化に含まれるものの中で、二つの点を学びます。
神様への聖別:
①ヒゼキヤによる命令&実行(II歴代29:5,15-19)
②幕屋・宮の聖別(出エジプト記40:10-11; 民数記7:1; II歴代7:16)
③家・畑の一部を聖別(レビ記27:14,16)
④初子の聖別の命令(民数記3:13)
⑤父なる神様が御子イエス様を聖別(ヨハネ10:36)
⑥御子イエス様がご自身を聖別(ヨハネ17:19)
⑦回心における聖別(Iコリント1:2; Iペテロ1:2):イエス様を信じたクリスチャンは、イエス様の(ための)働きをするように聖霊なる神様によってこの世と区別されました。クリスチャンは信仰者としての成長のプロセスにおける責任を抱えています。それは、神様のみことばを最大限受け入れ、生活に適用し、自己の願望を神様に委ねていくというものです。
キリスト様の聖の転嫁:イエス様が私たちにとって聖となられたとは、イエス様の聖ゆえに、私たちが、立場において聖い者とされているということです。(Iコリント1:2, 30)私たちの聖はイエス様のみわざ抜きには実現しないことです。父なる神様のご計画と御旨によって遣わされた御子イエス様ゆえに、また聖霊なる神様のお働きゆえに、そして人の側の信仰という応答ゆえに聖徒の立場が実現しているのです。(Iコリント6:11; ヘブル10:10; 使徒26:18)
クリスチャンは、イエス様の聖さに装われ、義であり聖であるとみなされています。それゆえ、霊的成長の程度とは関係なく、皆聖徒と呼ばれるのです。(ローマ1:7; エペソ1:1; ピリピ1:1)
まとめ:クリスチャンは聖徒として召された
クリスチャンは、イエス様によって聖徒の立場を得ました。これは罪に汚れきった者が、イエス様の犠牲によって与えられた立場です。この立場に相応しく聖さを追求する歩みが必要です。聖徒として、思い、考え方、ことば、行動が整えられ洗練されていく必要があります。聖なる神様にお仕えする者として、神様をお喜ばせすることを願う純粋な心をもって働く者であらせていただきましょう。