聖書の神は救いを用意された㉒:イエス様の高揚

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今回は、イエス様の高揚について学びます。「高揚」とは、精神や気分などが高まること、或いは高めること、と辞書にありますが、聖書が教えている高揚(高挙)とは、父なる神様が、昇天されたイエス様に神の右の栄誉と力の地位を与えられた行為を指します。(エペソ 1:15~23)

I. それは神の大能の力による(19~20節)
使徒パウロはエペソのクリスチャンのための祈りの中で、神様のちからを知ることについて祈っています。それは神様の「すぐれた力」であり、人の力、そして人の想像をはるかに超える力です。
この力はイエス様を信じる人に働くすぐれた力であることをパウロは先ず述べています。(使徒1:8; コロサイ1:29; エペソ3:20)ここでのパウロの祈りは、この力を得ることではなく、その効果を認識し用いることです。この力は人を回心させる偉大なものです。パウロは、この力を説明するために、イエス様の復活をたとえのように用いています。イエス様の復活は、神様が死のちから、悪魔のちからに勝利したことの客観的証拠なのです。さらに神様は、復活されたイエス様をご自分の右に着かせてくださいました。このことも、神様の輝かしいちからのあらわれです。

II. それは神の右に着座することを意味する(20~23節)
「右の座」とは、王に次ぐ栄光の座を示します。それは、統治における至高の栄誉と権威を象徴しています。「右」は、最もすぐれている存在であることを説明します。旧約聖書では、力・権威を示すものとして用いられ、王的神的ちから・支配を表しています。新約聖書では、御子イエス様の着座の描写で用いられています。(マルコ14:62; 16:19; 使徒2:33; 7:55-56; Iペテロ3:22; ヘブル10:12; 12:2)父なる神様は、完全な信頼を、御子イエス様に置き、全権を委ねられたのです。大祭司であられるイエス様は、王的権威を持って着座しておられ、やがて敵の完全征服のために再び来られるのです。

①イエス様はすべてを支配する王としての統治権を持っておられます。(21節)イエス様には、すべてに勝る名が与えられたのです。「イエスの御名」(使徒3:6,16; 4:10,12,17-18,30)は、すぐれた権威と力をもった名です。それは[栄光と誉れ]に満ちた名です。(ヘブル2:9)そして、それは永遠の権限を意味します。

覚えておきたいことは、クリスチャンにもこの権威を行使する立場が与えられているということです。イエス様とともに死に、ともによみがえらせられたクリスチャンは、イエス様とともに「天上に座らせて」いただいていると聖書にあります。(エペソ2:5-6)つまり、クリスチャンは、イエス様と共に[イエスの御名]という権威を行使できるということです。クリスチャン生活におけるあらゆる場面で、この権威(ちから)を用いることができるということです。(ヨハネ14:13-14; 16:23; コロサイ3:17)

②すべての統治権を持つイエス様が教会に与えられています。(22-23節)イエス様の統治は、人や天使のみならず、全被造物に及びます。(万物の支配権はイエス様のものですが、それが行使されるのは先のことです。ヘブル2:8)“イエス様は教会のかしら”であることは確かですが、この箇所では、教会がすべてのものの支配権を有しておられるイエス様と密接なかかわりにあることを強調しています。教会はやがてイエス様とともに支配する特別な召しをいただいています。イエス様のからだである教会は、かしら(頭)であられるイエス様と一つの生命体であり、その中に一つの御霊が宿っているのです。イエス様は、教会の大祭司として「大いなる方の御座の右に座し」ておられるのです。(ヘブル8:1)全宇宙に満ちておられるお方は、すべての必要を満たされるお方です。

まとめ:復活の後 昇天され高く上げられたイエス様に栄光あれ

イエス様が高く上げられたことにより、父なる神様があがめられます。イエス様は仕えるお方としてこの世界に来られ、死に至るまで父なる神様に従われました。究極の謙遜をあらわされた御子イエス様は、父なる神様によって高く上げられました。(やがて)すべてのものがこのお方を主と告白し、神様をあがめるのです。(ピリピ2:11)
クリスチャンは個人としても、教会としてイエス様の高揚の素晴らしい祝福に与っています。イエス様のお名前を権威・ちからとして行使できるというものです。それはクリスチャンの信仰によってなされることです。そのことによりクリスチャンは神様に栄光をお返しすることができるのです。
御子イエス様をよみがえらせ、ご自分の右に着座させてくださったお方は、そのすぐれたちから(極めて大きなちから)を(信じた人に)救いにおいて適用されました。そのちからは(やがて完全な者とされる日まで)継続的にクリスチャンの中に働くのです。霊的に生かされたクリスチャンはこのちからがすでに与えられていることを認識し用いるようにと招かれているのです。

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