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「十字架」はキリスト教のシンボルとして認識されていますが、イエス様を信じる人たちが最初から使っていたのではないようです。(そもそも十字架は処刑の道具ですから)「十字架」をシンボルとして最初に用いたのは、(キリスト教徒ではなかった)ローマ皇帝コンスタンチヌスであると言われています。“夢で十字架を自陣のシンボルとして用いるようにとのお告げを受けた”とされ、結果的に戦いに勝利し、彼はローマ帝国の単独統治者となっていきました。彼はキリスト教を公認の宗教とし、彼の統治時代に十字架刑は廃止されました。しだいに、十字架の負の側面は人々の記憶から消え、勝利とキリストの「愛のわざ」の象徴としてクリスチャンはシンボルとして用いるようになっていったようです。
十字架刑は、ローマ帝国が敵兵に実施したもので、長時間苦しんだあげく窒息死する極刑です。イエス様も、嘘の証言によって告発され、様々な暴力を受けられた後、十字架に架けられました。
このイエス様にあなたは何を見るでしょうか。
*犯罪者の姿でしょうか:“極刑に処せられたのであるから、何か重大な悪事をはたらいたに違いない”と考えるかもしれません。また、“だから剣や棒をもって捕まえられなければならなかった。だから縛られて裁判にかけられたのだ。当時の人々は、殺人や強盗をした人よりも彼の処刑を望んだではないか。群衆は「十字架につけろ」と叫んだではないか”と。
*不運な宗教家の姿でしょうか:“ユダヤ教の宗教指導者たちから憎まれ妬まれていたから、そういうことになってしまった”と考える人もいるでしょう。確かにイエス様は、病気の人に向かって「あなたの罪は赦された」と宣言されたことがあります。当時軽蔑されていた人々(たとえば取税人)と食事をされました。安息日に手の萎えた人を癒したこともあり、“ユダヤの律法、言い伝えを守ろうとしない”と非難されました。一方イエス様は当時の宗教指導者たちに向かって、“あなたがたは神の教えよりも、言い伝えを大事にしている”とか、“あなたがたは神殿を商売のために使っている”と痛烈に非難されました。彼らは、イエス様を試そう、陥れようとしばしばやってきましたが成功せず、ついにイエス様の弟子の一人であるユダを使って逮捕することになりました。死刑ありき、の裁判で有罪と死刑が確定したのです。
*あなたの永遠のいのちの恩人ですか:聖書は(十字架に架けられた)イエス様がこの世界に来た目的を説明しています。(Iテモテ1:15)それはこの世界に住む人々の幸せです。「罪人」とは、全人類のことです。世界を創造された神様の基準においては、皆罪のある人間です。そして罪がある人間は、死ぬことと死後の刑罰の対象です。(感覚的には理解が困難かもしれませんが、死刑と無期の刑罰を考えると相当悪いことをしていると考えなければなりません)
イエス様は、そのような人間の罪を背負って身代わりに死ぬためにこの世界に(神であるお方が人となって)来られたのです。(Iぺテロ2:24)イエス様がこの世界に来られた目的、そして十字架で死なれた目的を個人的に知り信じる人は、イエス様の十字架を正しく見ることができる人です。
まとめ:イエス様の十字架はあなたのためだったのです
聖書が真実なら、人は皆神様の前では有罪であり、そのために死に、永遠の刑罰を受けることになるのですから事態は深刻です。このことについて無力な人間は他からの助けがどうしても必要なのです。
あなたはイエス様のことを誤解しているかもしれません。惨たらしい十字架の姿を見るなら、信じようとは思わないかもしれません。自分との関係がわからないかもしれません。信じたら面倒なことになる、生活が窮屈になると恐れているかもしれません。
ウソ・だましごと・詐欺が横行する社会にいる私たちは、善意を素直に受け入れることが難しくなっていると思います。しかし、イエス様の善意はそのまま受け取っていいのです。イエス様はあなたの(永遠の)問題を解決し永遠の幸せをくださいます。大事なことは、イエス様を信じることです。信じるなら神様の前における罪が赦され、死後の安心をいただくことができます。それは死後の永遠の準備をする(保険をかける)ということです。それはあなたにとって一番幸せな選択です。
あなたは十字架に何を見ますか。イエス様の十字架に自分との関係を見出していただきたいと思います。本来あなたがそこに架けられなければならなかったのです。罪をもったあなたが原因で、イエス様は十字架にかからなければならなかったということを知っていただきたいのです。そしてあなたを永遠に救い、幸せにすることができる唯一のお方であることを知っていただきたいのです。イエス様は、あなたを愛し、あなたのためにご自分(のいのち)を与えてくださった神の御子です。(ガラテヤ2:20)