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地元愛、家族愛など、~愛と呼ばれるものがあります。あなたには、みことば愛がありますか。クリスチャンは、聖書をみことばと言います。神様への畏敬の念を込めて、御言葉(みことば)と呼ぶのです。今回は神様のみことばを愛する人の祝福について学びます。(詩篇119:97~104)
みことば愛:その表現(97、103節)
詩篇の筆者は率直にみことばへの愛情を表現しています。
(119:47-48,113,127,163)天(国)的喜びの気持ちを表現しているのです。彼は自身のみことば愛に客観的に感動しています。(聖書を信じない)学者(教授)は聖書を読み、理解し、表面的には従うことさえするかもしれませんが、信じる人は、ただそれを愛し、みことばの教えの中に生きるのです。神様の子どもであるクリスチャンにとっては、聖書のことばは食物、薬、光、そして慰めです。
クリスチャンは、その聖さのゆえにみことばを愛し、自らも聖くなることを求めます。その知恵のゆえにみことばを愛し、自らも賢くなるために学びます。その完全さゆえにみことばを愛し、自らも成熟することを求めていきます。
みことばは、クリスチャンにとって、寝ても覚めても意識の行くところ、思いを寄せるところです。愛するゆえに黙想し、黙想するゆえに、より愛するのです。みことばを知ることで愛が増し、愛ゆえにさらに知ることを求めるのです。
みことば愛:その賢さ(98~100節)
みことばは、それを愛する者を敵よりも、その巧妙さにおいて賢くします。みことばを聞くこと、読むことは、人に知識を増やすことを可能としますが、神様のみが人を賢くするのです。これにより、人を誘惑し陥れようとする悪魔(敵)に対して常に勝利することができるのです。敵につけ入る隙を与えることなく、敵の上を行くことができるのです。
みことばは、それを愛する者を教師よりも、その教えにおいて賢くします。
その人生において“賢くない時もあった”ダビデがどのようにして神の知恵を得たのでしょうか。それは神様のみことばを勉めて黙想することによってです。みことばを単純に受け取ることによってです。黙想の伴う従順は人を正しい道へ導いていくのです。
みことばは、それを愛する者を老人よりも、その経験において賢くします。
みことば愛:その護り(101~102、104節)
みことばは、それを愛する者を悪の道から護ります。
みことばは、それを愛する者を正しい道に留めます。教えられたことを受け入れて“はずれない”選択をしていくことができるのです。
みことばは、それを愛する者を偽りの道から護ります。
まとめ:みことばを愛する人は賢く堅実な歩みができる
詩篇の筆者が言っているように、みことばはあなたの「思い」、あなたの「もの」となっているでしょうか。あなたは、みことばを「守っている」と言えるでしょうか。それは、あなたがみことばを愛し、みことばに従っているかどうかという問いかけです。
みことばはあなたを賢くします。本当の知恵は、知識を人生において適用できることを言います。神様の教えであるみことばを、あなたの歩みにおける導き手とするなら、あなたは本当の意味で賢い人です(165節)
ある人が、“いい本に出会うことは、いい人に出会うことに似ている”と言いました。あなたは聖書のという最高の本に出会い、まことの神様に出会いました。このお方のみことばを慕い求めつつ、この新しい一年を賢く堅実に歩ませていただきましょう。