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Iテモ1:15のことばは、イエス様がお生まれになったことについて簡潔に述べている箇所だと思います。今回はこの箇所から、「イエス」、「罪人」、「救い」に焦点を当ててイエス様のご降誕について考えてみたいと思います。
イエス様は「来られた」
聖書ではイエス様が人としてお生まれになったことについて、イエス様は「来た」とか「現れた」という表現で説明されています。(ルカ19:10; マルコ10:45; マタイ9:13; Iヨハネ3:5; ヘブル9:26; ピリピ2:7)この表現が使われているほとんどの場合において、それは私たち「人間のために」であったことは注目に値します。
イエス様は「世に来られた」
イエス様はこの世界(地球)に来られたのですが、それは物理的に「やって来られた」ということだけを意味しているのではありません。イエス様は、ご自分がお造りになった人類の所、しかも堕落してしまった人類の所へおいでになったということです。このお方が来られる上で、能力の点においては何の問題もありませんが、ご自身の聖さや義のご性質の点からは「困難」をともなうものです。神の御子であられるお方にとって(栄光ある天から)罪の世界、罪人の存在する領域に来られることは「挑戦」であったはずです。ですから、イエス様が人の罪を背負うことは、肉体を取られた時から始まっていたと言っても過言ではないでしょう。この世界は悪魔と悪魔の手下(悪霊)が支配する領域です。(もちろん神様の支配はその上にありますが)それは神様を知らず、意識的に、また無意識的に神様に反抗している者たちがうごめいている堕落した領域です。この領域に身を置く人間一人一人にも問題があります。一人一人は、罪の性質を受け継ぎ自ら罪を犯す存在です。(ローマ3:10,23)言動・振る舞いによって他人を傷つけ苦しめます。身勝手な行動により他人の様々な物を奪い安心を脅かすのです。
まことの神様を知らない人間はあわれです。自分がどこから来たかわかりません。何のために生きているかわかりません。なぜ人のもの・いのちを奪ってはいけないかがわかりません。権威を認め、従うことができません。一方で、自分の立ち位置をわきまえないで自由や権利だけを求めます。死の問題と向き合うことをせず、一時的な何かによって紛らわしています。神様に対して真っ向から敵対する悪魔の支配の中で、人は神様に背を向け、神様の敵として歩んでいるのです。イエス様はそのような「世に来られた」のです。
イエス様は「罪人を救うために世に来られた」
私たち人間は敵を愛することが容易ではありません。自分への嫌がらせをする人の幸福を願うことは困難です。そのような敵は痛い目にあえばいい、滅びてしまえばいいと考えるのが普通ですし、そこまで思わなくても、その人と関わりをもたないように、距離を置くようにするでしょう。
しかし、イエス様は愛の神様です。ご自分に歯向かう者・悪者の不幸を喜ばれないお方です。さらに、今の状態に終止符を打ち、幸福を手にするようにと望まれるお方です。
罪人の最大の問題は神様の前における罪があることです。人はこの問題を自ら解決できないのです。その解決のために動いてくださったのがイエス様です。イエス様はそのために生まれ、来られ、現れたのです。
罪のある人間は死が定まっており、死後の永遠のさばきが定まっています。この現実は変えられなければなりません。その変化は、罪のまったくない神の子であられるイエス様だけができることです。イエス様は肉体を取られ、罪のある人間に代わって死に、復活されました。
神様が与える「救い」とは根本的かつ永遠のものです。赦されていない犯罪者が逃亡生活を強いられるように、神様の前で罪人であり続ける人には本当の安心はありません。イエス様の身代わりの死は、人を本当の意味で解放したのです。罪の中で、滅びに向かって生きるのではなく、救われ赦された安心感の中で希望を持って歩いていくことができるようにしてくださったのです。
イエス様がこの世界に来られたことは、模範も残されたということです。人はどのように生きるべきか、そしてイエス様を信じるならどのように生きることができるかを教えてくださったのです。
まとめ:キリスト・イエスはあなたを救うために世に来られた
今回とりあげた Iテモテ1:15のことばの続きには、この「ことばは真実であり、そのまま受け入れるに値するもの」とあります。これは神様からの真実のメッセージであり、受け入れるすべての人に幸福を約束するものです。心臓移植の手術は様々な意味で大変なことですが、これによって一人のいのちが助かるのであれば本当にすばらしいことです。ある意味において、臓器を提供する一人の人によって、一人が救われるのですから。イエス様はこの世界に来られ、ご自分のいのちを与えることによって、信じるすべての人のいのちを永遠に助ける方法を備えられました。この尊い救いをいただきましょう。イエス様を心の内にお迎えしましょう。そうする人こそクリスマスを真に祝うことができる人です。