クリスチャンとして、イエス様に似た者として変えられていくためにも、またイエス・キリスト様を知るためにも、イエス様に心を向け、霊の目でもって見続けて行くことは重要です。今回のテーマ聖句から、イエス様を見続けることに焦点をあてます。他のものから目を背け、視点をイエス様に固定することの意義と方法を学んでいきましょう。
そもそもイエス様を見続けるとはどういうことでしょうか。これは、イエス様を愛する、イエス様に頼る、イエス様に従う、イエス様を敬う、と言い換えることができます。イエス様のお考えを一番の関心事とするということです。罪の性質をもっている私たちは、このことを“自動的”にはできません。(ですから命令されているのです)これには、私たち自身の積極的な取り組み、イエス様に合わせていくという姿勢が求められます。
私たちには、イエス様を見続けることを阻むものがあります。(スマホに代表されるように)私たちは、神様から違うものに目を向けさせることが活発な時代に生きており、目だけではなく心も違うところに持っていかれる可能性が常にあります。それゆえに神様とみことばを見続ける努力と選択を必要としています。
私たちがイエス様を見続けるのは、信仰者として健全に生きるためです。クリスチャンとして、安全に生き、聖さへと生き、神様の栄光を求めるため、正しい動機を持続するためです。自身の信仰の歩みを危険にさらさないためにも、信仰の原点であり原動力であるイエス様を見続ける必要があるのです。
今回と次回でイエス様を見続けるサイクル(方法)を三つのポイントで学んでいきます。(三つのポイントは、黙想、回顧、実践です。)
*黙想する
これは神様の基準を深く知り、神様のご意志を豊かに汲み取るステップです。(詩篇1:1-3; 119:15,97,148)みことばの黙想によって神様を知り神様の御心を知ることができます。祈りつつみことばを熟考するためには時間が必要となります。考えることは労力を要しますが、これをすることを通して、神様はみことばを求める者に語ってくださいます。この際には、自分の考えは脇に置き、意図的に神様中心の世界観を持つように努めなければなりません。これはイエス様を見続ける作業です。(IIペテロ1:19)頻繁に豊かなかたちで神様のみことばを読み味わうプロセスです。(申命記6:6-9; ヨシュア1:8)
まとめ:イエス様を見続けるために先ず豊かに神様のみことばを黙想しましよう
イエス様を見続けることは、意図的に行うべきことです。このことを妨げるものは(それが何であれ)手放していかなければなりません。これは信仰者の霊的健康のために必須です。信仰生活の健全さと成長のために重要です。神様のみことばの黙想の習慣を豊かなかたちで身につけましょう。(詩篇19:14)神様の基準、そしてご意志と御心を丁寧なかたちで探求しましょう。