イエス様を見続けよう!②

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前回は、イエス様を見続けるサイクル(方法)の最初のステップとして、神様のみことばを豊かなかたちで黙想することを学びました。今回は第二、三のステップである回顧と実践について学びます。

*回顧する
私たちクリスチャンは黙想を通して、みことばという基準を明確に受け取ります。そしてそれを前提として回顧を行うのです。それは、自身の歩みを省みるステップです。私たちは、イエス様を見続ける過程で自分自身を正しく吟味する必要があるのです。
ルカの福音書18:11-12に登場するパリサイ人は、みことばを黙想する人ではありませんでした。それゆえ、神様の基準で自分自身の罪深さを知ることもなかったのです。彼は、周囲の人と自分を比較し、自身が勝っていることを誇っていたのです。彼のしていたことは、祈るふりなのであって、神様への応答ではありませんでした。彼には黙想がないので回顧もなかったのです。
一方 取税人は(ルカ18:13)神様(絶対的な基準)を前にして顔を上げることができませんでした。彼は、自分自身の価値のなさ、罪深さに恥を覚えたのです。彼は、自分が“多くの罪人の一人”ではなく、どうしようもない罪人であると認識しました。そして、ただ憐れみを神様に求めたのです。
回顧には、(黙想と同じように)静まり祈りつつ自身の歩みを省み、反省する豊かな時間が必要です。
私たちは、自分自身の心が神様の御心に沿うものかどうかを点検する必要があります。(詩篇139:23-24)これは心地よい作業ではありません。自分の本来の姿と向き合うことは痛みを経験することでもあるからです。(そして私たち以上に、悪魔はそれをしてほしくないのです)ダビデは“敵は悪いが自分は大丈夫”とは言いませんでした。(詩篇139:19-22)彼は、自身の歩みを神様の標準と照らし合わせたのです。
みことばを蓄えて回顧しましょう。(箴言7:1)それは、罪を悔い改めるプロセスでもあります。(ヘブル12:1)イエス様を見続けるために自身を省みましょう。私たち(定期的に集会に集っている者)は、礼拝(集会)に来る前後では(正しい意味において)変わっていなければならないのです。メッセージを聞いて、単に“恵まれた、教えられた”で終わってしまってはいけないのです。与えられたみことばを深く黙想し自身を省みることが重要です。

*実践する
これは“静から動へ”のステップです。基本的に、黙想と回顧は隠れたところで行われますが、このステップは外側にあらわれます。黙想と回顧が充実するなら、行動に実があらわれるはずです。これは行動を変えるプロセス、行動を神様が喜ぶものに変えていくプロセスです。自身の問題を認知するだけでなく、取り組み対応していくのです。みことばは実践してこそ意味があるのです。
ヤコブ書1:22で語られている、自身を欺く人とは、みことばを聞くだけで満
足しているクリスチャンであり、深刻な“霊的計算間違い(勘違い)”をしている人のことです。しかし、みことばを見つめる人は、イエス様を見つめる人です。(25節)みことばを実践し祝福される人です。子どもは親の信仰の実践を見ています。世の中の人は、私たち信仰者の実践を見ているのです。もし神様のみことばが“見えにくく、入りにくくなっている”のであれば、私たちの側が見ることができるように調整しなければなりません。常にみことばという原点に戻る必要があります。実践のためには、神様の前に謙り、信じることが必要です。黙想と回顧(下準備)が出来ている人は正しく実践することができます。そしてそこには祝福があるのです。(詩篇1:3; ヨシュア1:7-8)

まとめ:イエス様を見続けるために、みことばを黙想し、自己を省み、みことばを実践しよう!
今回学んだイエス様を見続けるサイクルは、みことばを読み学ぶ時に常に必要なものです。私たちが、信仰者として抱える問題の原因にたどり着き、解決へと導かれるために必要なプロセスです。
私たちがイエス様を見ていないとするならば、他のものを見ているということです。それは、自分、人、状況、世の流れであったりするでしょう。
なぜイエス様を見続けるべきなのでしょうか。それはクリスチャンとして健全に着実に成長を続けるためです。イエス様はそのために十字架のみわざを成し遂げられ私たちを救われたのです。私たちが黙想・回顧・実践を継続していくことによって、私たちの歩みが神様に栄光をお返しするものとなっていきます。

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