主のために生きる②(I ペテロ 4:7~11)

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生きがいとは、その人の日々の活動のエネルギーとなるものです。クリスチャンはイエス様に生きがいを見いだしました。それゆえ、イエス様のために生きるのです。(前回学んだ)罪に対する勝利は、主のために生きる最初のステップですが、それだけでは十分ではありません。クリスチャンが、明白な罪の行為をやめることはできても、なお自身の自己中心的な関心を自身の歩みの中心にすえて生きるということはありうるからです。クリスチャンは、次のステップに進まなければなりません。自身に仕えるのではなく、救い主に仕えるということです。

I. 奉仕の心:主への奉仕は祈りの充実の上に(7節)
世の終りが迫っている今 主への奉仕は喫緊の課題です。過去を振り返れば、クリスチャンは(かつては)自身のために生き無駄な時間を過ごしてきました。未来に目を向ければ、イエス様の再臨はいつ起こってもおかしくない状況です。それは信仰者にとって、祝された望みであり、切望と祈りの成就ではありますが、主にお仕えする機会の終了でもあります。
ペテロは、時は短いので、クリスチャンは永遠の視点で生きなければならないと勧めます。自制し、注意深く、行動を起こす準備が出来ている者でなければならないということです。自身にはちからが足りないのを認めるなら、あらゆる場面で、唯一の恵みの源である神様に助けを求めることになります。正しい目的を持った、主への奉仕ならば、神様は常に祈りの答えを用意してくださいます。

II. 奉仕の対象:主の奉仕は互いの奉仕の現場で(8-10節)
“互いに~し合う”の表現を繰り返すことで、奉仕の相手は他者であることが強調されています。先ず、互いに熱心な愛を持ち続けるように勧められています。これはクリスチャンの他者に対する最優先事項であり、すべての個人的関係の土台です。これは意図的決断による他者への必要提供であり、全力行使が要求されるものです。「互いに」とは、単に、“私はあなたを愛し、あなたは私を愛する”というものではなく、“私はあなたを愛することを通して、私達(教会)を愛する”というものです。クリスチャンであっても、他の人に影響を及ぼす罪を犯してしまうことがあります。真の愛は、他者の失敗や間違いを赦し、公にさらすことを控えます。しかしこれは、“罪を無視するように”との命令ではありません。神様に対するすべての不従順は、告白と悔い改めが求められるものです。(罪ではないことでも)交わりの進展の中でお互いの弱さ・失敗・短所は認識されるものです。愛が欠如すれば、これらの欠点は緊張や摩擦の原因となりうるのです。それゆえ愛が必要となるのです。
ペテロは愛を示す一つの方法を提示しています。もてなしです。これは“見知らぬ人を楽しませること”です。初代教会においては、これを文字通りに実践する機会が多く存在していました。迫害によって住むところを失う人達もいたからです。彼らにとってクリスチャンの家庭が安心と励ましを与える場になったのです。もてなしは、愛が伴うことで重荷とならず実践することができるのです。
神様は互いに仕え合うために、神の恵みを示す賜物をクリスチャンに与えておられます。これは奉仕のちからとなるものです。クリスチャンはこれをもって、他者に、教会に、そして主に仕えるのです。賜物を受けたクリスチャンには「管理者」としての責任があります。主からのものである賜物を教会と主の栄光のために運用する責任です。

III. 奉仕の方法:主への奉仕は神が喜ばれるかたちで(11節前半)
賜物には(大きく分類すれば)語ることと、仕えることがありますが、各々が与えられたものを忠実に効果的にあますところなく用いる必要があります。

IV. 奉仕の目的:主への奉仕は神があがめられるため(11節後半)
奉仕の最優先の、そして究極的目的は神様に栄光をお返しすることです。すべての物事や人々にとどまらず、あらゆる方法・手段においてそれを追求するのです。神様はそうされるにふさわしいお方だからです。

まとめ:主のために生きるクリスチャンは、主にお仕えする信仰者
イエス様はあなたの罪のために苦しまれました。それゆえあなたは罪をやめ、イエス様にお仕えすべきなのです。そうすることで、主のために生きることができるのです。あなたは、一時の決意が長続きしないことを知っているでしょう。単なる意志によって霊的成長を生み出すことはできないのです。罪と自身に勝利する秘訣はイエス様にあります。クリスチャンが、主が与えてくださる恵みにより、みことばに従う時、神様は栄光をお受け取りになります。イエス様を抜きにして、罪の悔い改めも、歩みの変化も、他者への奉仕も存在しません。(ペテロを通しての)神様の教えがわかるなら、“私は神がお求めになることはできない、私にはキリスト様が必要だ”と告白するでしょう。恵みの源なるお方への全面的な依存を土台として、(パウロが書いたように)“私ではなくキリスト”によってお仕えすることができるのを見出すでしょう。

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