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子供が誕生する時には、性別や誰に似ているかということは常に関心事となります。あなたがクリスチャンであるなら、神様によって新しく生まれさせていただいた人ですが、あなたはどれほどキリスト様に似た存在でしょうか。
聖化の意味について学ぶ3回目となりますが、今回はキリスト様に似た者となることについて学びます。
先ず、キリスト様に似た者となることは、神様が望まれていることであり、神様が実現させてくださることであることを忘れてはいけません。(ローマ8:29; IIコリント3:18; ピリピ1:6)ではどのようにしてこのことが実現するかについて3つのポイントで見ていきます。
神様に委ねること(ローマ12:2): 救いを経験しても、なお自己主張をしているのであれば、キリストに似た者にはなりません。実現してくださるお方に無条件で自分を明け渡すことがなければならないのです。クリスチャンに対してやめるように言われていることがあります。それは世の中の常識や考え方に合わせた生き方をすることです。悪魔が支配している、世の中のやり方や価値観、そして自身の考えを放棄することです。そしてこれは必ず行われなければならないのです。その上で神様が喜ばれることに合わせていくのです。これがキリスト様に似た者となることのスタートであり、神様が何をお喜びになるかを知るための基本です。(ピリピ4:8)
罪から離れること: 悔い改めはクリスチャンのライフワーク(生涯続けていく務め)です。必要に応じて神様に霊的メスを入れていただくのです。これはまことの神様を知り信じている信仰者にだけ、正しい目的とともに効果的になされることです。罪から離れる上で3つのことがカギになります。
①みことば(詩篇119:11):神様のみことばを学ぶだけでなく、みことばに基づいて正しい選択をしていきます。学んだことを実生活に適用していくのです。神様のみことばの権威を受け入れる人は、悔い改めを実践できます。
②キリスト様のとりなし(ローマ8:34; Iヨハネ2:1):クリスチャンも罪を犯しますが、罪の赦しのために必要なすべてのことを行ってくださったキリスト様が、神様との間に立ってとりなしをしてくださいます。
③聖霊(ガラテヤ5:16):みことばが心に豊かに蓄えられている人の心は神様に向けられているので、聖霊なる神様の御声を聞くことができます。聖霊の支配下に自らの歩みを置いている人の生活に罪が入り込むことは困難です。
霊的に成長すること(IIペテロ3:18; コロサイ3:16): キリスト様を知れば知るほど、このお方への感謝と従順の心が高められます。みことばは罪を離れることだけでなく、神様のために生きることを動機づけるのです。悪いものを脱ぎ捨てるだけではなく、良いものを身に着けるように励ますのです。ですから何よりも、みことばを吸収することは大事なのです。神様のことばの種からは良いものだけが育つのですから。
まとめ:キリスト様に似た者になるには、信じて従うしかない
私たちクリスチャンがやがてキリスト様に直にお会いする時、キリスト様に似た者となることが約束されています。(Iヨハネ3:2)これは、キリスト様と(肉体的にではなく)道徳的に同等となることを意味します。これがクリスチャンの聖化の期間の終了、つまり栄化の瞬間です。(Iコリント15:52)
その時を待っている私たちは、生活全般においてキリスト様に依存する歩みをしていく必要があります。キリスト様をお手本とし、汚れたものを脱ぎ捨てるだけではなく、きよいものを身に着けていくのです。キリスト様と似た者となるためには、神様に自らを委ねる謙虚さと、罪から離れる決断、そして霊的成長への執着が必要です。キリスト様のことを常に心に留めつつ、聖化の過程を前進していきましょう。