主の受肉の理由③:忠実な大祭司となるため

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祭司とは神に仕える人のことです。(ヘブル5:1)祭司は神様とともに歩み、神様と一つとなるためにいつでも神様の御前にいる人です。それにより、神様を知り、神様と一つになり、神様がその人を通してあらわされるようになるのです。祭司は神様と人との間に立つ仲介者でもあります。モーセが神様から律法を授かるまでは、父親が各家族の祭司の役割を果たしましたが、それ以後、レビ族、つまりアロンとその子どもたちが専門的な祭司職を担うようになっていきました。
預言者と王も、祭司と同じように油を注がれて神様の働きをしますが、祭司の務めが第一とされ、預言者と王の務めを導くきわめて重要な立場にありました。祭司の中でも大祭司は、祭司職においては最高峰の存在です。
祭司には厳しい規定がありました。特殊な装束(白い布)を身に着け、いけにえの血を神様にささげます。祭司に任命される儀式(任職)では聖別のために血が祭壇から取られて、祭司の右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指につけられます。 さらに、祭司の装束には血が降りかけられます。(レビ29:1~21)ですから聖別の儀式やいけにえの儀式ではすべてが血まみれ状態になるのです。
この祭司の務めは決して完全なものではありませんでした。(シナイ山で神と交わされた契約の礼拝規定によれば)神様へのいけにえ、神様へのささげものには、傷のないもの、完全なものが必要となります。この「完全さ」は神様と人との仲立ちをする祭司たちにも求められましたが、祭司職制度(世襲制)ははじめからさまざまな欠陥をもっていたのです。さらにイエス様がこの世界に来られた時代には祭司制度による腐敗がはびこっていました。
このような中で神様は新しい祭司制度を設けられました。祭司職が(それまでのように)レビ族による世襲ではなく、(王の職務を担っていた)ユダ族からの系譜となったのです。この系譜のルーツにはアブラハムの時代に祭司をしていたメルキゼデクがいます。その約千年後、王であった(ユダ族の)ダビデが祭司としての務めを果たしました。この流れを受け継ぐかたちでさらに約千年後に、イエス様は祭司としての務めを果たすために来られたのです。

I. すぐれた大祭司
ヘブル書では、「すぐれた」という表現が繰り返し使われ、イエス様については7回使われています。(1:4; 7:19,22; 8:6; 9:23)イエス様が大祭司として、よりすぐれたお方であるのは以下の点においてです。
①完全で、罪・汚れがない:イエス様はご自分のために、また人々のために毎日いけにえをささげる必要がありません。イエス様のされた贖いは完全で、その効果は永遠に有効です。
②ご自身が罪のいけにえである:→イエス様が自らいけにえとなられた(犠牲となられた)ために、信じる人はイエス様と個人的な関係を持っており、大胆に、神様に近づくことができます。
③執り成し手である:イエス様はいつも生きていて、神様に近づく者のためにとりなしをしてくださいます。
④神様への愛と従順への導き手である:神様の律法(みことば)を私たちの思いの中に入れ、私たちの心に書きつけてくださいます。(8:6~11)そのようにすることで、強制ではなく自発的に神様を愛し、神様に従う人へと変えていってくださるのです。

II. 憐れみ深い大祭司(ヘブル2:17)
イエス様は、すべての点で人と同じようになることで、憐れみ深い大祭司となられました。同じようになるとは、肉体をお取りになる以上のことです。そしてイエス様の示してくださる憐れみは、単なる親切や優しさではなく、傷ついている人、痛みを負っている人のところに赴かせ、失意や恐れ、混乱や苦しみを分かち合うようにさせます。悲惨の中にある人とともに叫び、悲しみ、泣くことを促すのです。全能の神であられるイエス様がなぜ私たちと同じようになる必要があったのでしょうか。それは神様の憐れみの素晴らしさが示されるためです。神様が共におられるということがどういうことなのかを教えるためです。それは神様が、私たちと一体となることを選ばれたことを意味します。(2:11)イエス様の癒しの奇蹟には、まさに神様の人に対する憐れみ深いお心が示されているのです。

III. 思いやりのある大祭司(ヘブル4:15、5:2)
イエス様は人を顧み、人に注意を払い、気にかけ、尊重してくださるお方です。それは私たちが、“神は沈黙している”と思うような時でさえです。思いやりのあるお方は、私たちの話に(祈りに)耳を傾けてくださるお方でもあります。(ヘブル2:18)

まとめ: イエス様は肉体を取られ、忠実な大祭司となられた
この世界においでになったイエス様は、人々のために神に仕える、へりくだった大祭司であられます。(ヘブル5:1)イエス様は、父なる神様からこの務めを授かり(同5:4-5)、様々な苦しみを通られる中で従順を学ばれ、「完全な者」とされ大祭司と呼ばれました。(同5:8-10; 2:10)
私たちは、大祭司としての務めに対する準備のために、肉体的精神的霊的苦しみをお通りになりその末に死に渡されてくださった、「神の子イエスという偉大な大祭司」(4:14)を仰ぎ見続けることが必要です。なぜなら、イエス様は私たちと同じようになられ、同じように試練に遭われたお方であり、弱い私たちを十分に、そして完全に同情することがお出来になられるお方だからです。このお方から与えられる豊かな憐れみと恵み、そして助けを経験させていただきましょう。(ヘブル4:15-16)

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