主の日の確かさ

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人は先に起こる予定(計画)を楽しみにし、それをエネルギーにして今を生きる(頑張る)傾向にあります。クリスチャンには共通する楽しみがあります。それはイエス様がおいでになられることです。その時、永遠の祝福を約束されているクリスチャンにとってすべてが新しく完全なものとなるからです。やがておいでになるイエス様がどのようなお方であられ、何をなされるかについて学びたいと思います。

主は時間の上に存在される(8節)
イエス様の来臨が起こらないことを嘲る者たちは大事なことを見落としていますが(5節)、クリスチャンにはさらに見落として(忘れて)はいけないことがあります。イエス様の時間に関する感覚は私たちとは違うということです。(詩篇90:4)時間を造られた神様ご自身と時間の流れとの関係は、人間とは違うのです。(ここでのペテロのポイントは)時間というものが、神様にとって意味を持たないということではなく、神様の時の用い方は、私たちが神様を私たちのスケジュールに押し込むことができるようなものではないということです。神様の目には(ある場合は)長い時間が短いものとしてとらえられている可能性があります。神様は人がするのとは違うかたちで時間を認識(理解)されるのです。神様の時間の用い方は(時に)大規模です。私たちが一日で終了するであろうと考えることに千年を費やされるかもしれません。同時に、神様の時間の用い方は(時に)“凝縮的”です。千年かかるであろうと思われることを一日でされることもあるでしょう。いずれにしても神様は時間ということにおいても別次元におられるということです。

主は罪人の幸福を願われる(9節)
イエス様(神様)のタイミングは意図的なものです。そしてそこには、神様の祝福を願う意図があります。神様は人々の救いを本当に願われているのです。神様は無計画に時間を費やしておられるのではなく、むしろ時を定めて動いておられるのです。(ガラテヤ4:4)神様は(時間に縛られることはありませんが)時間を用いられます。神様が活動していないと感じられるとしても、それは、神様にとって実行不可能であるとか、気が向かない(無関心)からということでは決してありません。神様には怠慢も緩慢もありません。待つことはなさいますが、遅いとか遅れるということはないのです。(ルカ18:7; ヘブル10:37; ハバクク2:3)罪人が当然受けるべき罰が先延ばしになっているとするなら、それは神様の忍耐ゆえです。(ヨエル2:13; イザヤ30:18; ローマ2:4; 9:22; 黙2:21)さばきは神様にとって“不本意なみわざ”です。滅びる者が地獄へ行くことになるのは、罪があり、地獄の刑罰に値し、唯一の解決方法であるイエス様を拒絶したからです。(ヨハネ8:24)それゆえ、神様が、あらかじめ地獄に行くために創造した人は存在しません。神様の前における悔い改めとは、良い方向への心の変化です。向きを変え、新しい道を受け入れるということです。いつくしみ深い神様に対して、人は歩みにおける変化(悔い改め)の余地を作る姿勢が必要です。(エゼキエル18:23,32; 33:11; Iテモテ2:4)このことから、クリスチャンにとっての必然的な結論とは、主が来られる前の福音伝道そして奉仕を活発化させるべきということです。

主は御力をあらわされる(10節)
神様の憐れみと忍耐は偉大ですが、恵みの期間は永遠ではありません。神様のさばきは確かなものであり徹底的であり悲劇的です。
「主の日」とは、さばきのために神様が特別に人の歴史に介入される時を言います。究極的には、神様が地上の邪悪な者達をさばかれ、現在の世界構造を終わらせる将来における審判の時を指します。旧約の預言者たちは、主の日を、今までに例のない闇と破滅の時、絶頂的なかたちで神様がご自分の御名を証しし、敵を滅ぼし、ご自分の栄光を示し、王国を建て、世界を滅ぼされる日と理解しました。これは新約聖書で明確にされている、空中携挙に続く複数の事柄が起こる期間です。(イザヤ2:11; 13:6-22)準備をしていない者にとって、主の日の到来は不意打ちとなります。(Iテサロニケ5:2; 黙示録3:3; 16:15)その時、この世界(宇宙)には壊滅的なことが起こります。(黙示録20:11; 21:1; マタイ24:29,35; イザヤ24:19; 34:4; ミカ1:4; ナホム1:5)神様と無関係のところでの、人の功績はまったく意味をもたないものとなるのです。

まとめ:主の日の確かさは信仰者の生きるちから
クリスチャンは輝かしい次の予定に向かって歩いています。それゆえ、着々と準備を進めておられるイエス様に信頼しつつ生活することができるのです。クリスチャンはイエス様の忍耐を念頭に恵みの福音をのべ伝えるために地上に置かれています。イエス様の恵みと憐れみゆえの、おいでの“遅れ”に感謝しつつ、イエス様を証し続けていきましょう。主の日に向けてすでに準備ができている者らしく、「地にある働き」ではなく、天に宝を積む働きに励みましょう。(Iテサロニケ5:4)

 

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