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神の御子であられるイエス・キリスト様を自分の救い主として信じると、信じた人の罪は赦され、永遠のいのちが与えられます。これは信じることの結果ではありますが、今回はこれらとは別の面を学びます。信じることによって与えられるものの中に確信があります。
確信:聖霊によって
イエス様を信じた人の中に住み始めてくださる聖霊なる神様は、信じた人が確かに救われていることを証言し、信じた人にそれをわからせてくださいます。(ローマ8:16)クリスチャンは、自分が神様の子どもであること(救われていること)を霊的本能によって知っているのです。そしてクリスチャンは聖霊なる神様からちからを与えられ、実を結ぶ生活ができるようになるのです。
イエス様(が肉体を取られたこと)によって、神様の愛はあらわされましたが、現在イエス様は肉体をもってこの地上にはおられません。現在は、教会が、そして教会に連なっているクリスチャン一人一人が神様の愛を示すのです。聖霊なる神様を受けているクリスチャンは、自分が信じた事実を確信するのみでなく、目に見えない神様を人々に示す存在となるのです。
(Iヨハネ4:12-13; 5:10-11)
*聖霊はみことばの約束に目を向けさせる:イエス様を信じた人が神様の約束を信じる時、確信が与えられます。クリスチャンはわかったから信じたのではなく、信じたので(それが本当であると)わかるようになったのです。
*自分が救われていることを疑う時:クリスチャンが罪を犯してしまうと、自分の救いについて疑うことがあります。しかし、クリスチャンに与えられている罪の赦しは過去・現在・未来を含むものであることを覚えましょう。(だから罪を犯してもいい、しょうがない、ではありませんが)自分の罪深さを認識する時(そして悔い改めて赦していただく時)、こんな自分が救われた、と恵みを感謝することができます。自分の罪深さがわかると神様の恵み深さがよりわかるようになるのです。
確信-和解(ローマ5:1)
信仰の結果として与えられる確信と神様との和解の現実は関連しています。神様との間にあった敵意とその原因は消滅したことにより、もはや敵対関係にはなく友という親しい間柄になったのです。
確信-安息(ヘブル4:2-3)
イエス様を信じて救いの確信をいただいたクリスチャンは良心の安息をいただいています。神様の前における罪の問題はすでに解決しており、神様からのさばきを受けることがないからです。
確信-喜び(Iペテロ1:8)
クリスチャンは救い主イエス様を(まだ)見てはいませんが信じました。そしてイエス様とつながりました。それは真の喜びの源と永遠につながったことを意味します。クリスチャンの喜びは、死なれ、復活されたイエス様からのものであり、目の前の状況に左右されるものではまったくありません。そしてこの喜びは誰も奪うことができないものなのです。
まとめ:イエス様を信じた人は救いの確信を持ち続けることができる
自分の(置かれた状況での)感覚や気持ちで、神様との関係について結論を出してしまわないようにしましょう。そのためには、聖書のみことばの約束に目をとめることが大切です。自分が救われたのは、自分がした何かではなく、神様がされたことによってである事実を再確認しましょう。神様がなさったことに変更が加えられるということはありません。それゆえ、イエス様を信じた人は、自分が永遠に救われていることを信じることも信仰の一部であるという認識が必要です。
神様との関係正常化の現実、神様にさばかれることのない安心、なくなることのない神様から与えられる喜びの経験、これらはイエス様を個人的に信じる人にのみ与えられる神様の恵みです。