12月15日 受肉の究極目的②

主イエス・キリスト様が肉体を取ってこの世界においでになった時、その目的を明確になさいました。それは父なる神様の「みこころをおこなう」ことであると。(へブル10:5-9) しかもそれを喜びとされました。私たちはとかく自分第一で自己中心的ですが、イエス様は父なる神様のお考えを快く受け入れられ実行していかれたのです。

そもそもイエス様は父なる神様とともに、栄光と賛美の中におられたお方です。(ピリピ2:6-8) しかし、低い立場を受け入れられ、貧しくなられ、自らこの世界の社会的地位を拒絶されました。一方でこの世(社会)からは反対を受け、拒絶され、排斥されることとなりました。そのような中で十字架の死に至るまで父なる神様への従順を貫かれました。辱め・苦しみを承知の上で、父なるかみさまのみこころを選択されたのです。人間の中にそのような姿を見つけることができるでしょうか。クリスチャンの中にでさえ、そのような姿を見つけることができるでしょうか。イエス様のそのお姿はまさに、神様が望んでおられる人間の姿でした。イエス様がこの世界に来られたことは、イエス様の模範に倣って、人が神様の望まれることを行うようになるという目的も含んでいたのです。

イエス様がこの世界に来られたのは、(よく強調されることですが)罪人を救うためでした。(Iテモテ1:15) 人間の世界で誰が好んで犯罪者の所へ近づくでしょうか。誰が犯罪者を助けるためにわざわざ行動を起こすでしょうか。しかし神であられるイエス様は罪のある人間を所有者(神様)からはなれてしまった迷子の存在としてご覧になっておられました。それはどんなに値打ちのあるものでも、どこにあるかわからなければ、役に立たない道具のようです。神様の所から迷い出てしまった人間は、神様のためにお役に立つことができない存在なのです。イエス様はそのような人間たちをかわいそうに思ってくださり、探しに来てくださったのです。(ルカ19:10)

しかし、人間の罪の問題の解決には犠牲が伴いました。(Iヨハネ4:10) イエス様は愛という動機に基づいて、ご自分のいのち、そしてすべてを投じることによって問題解決を実現してくださいました。これにより罪人に本当の意味における豊かな人生が、平安が、喜びが提供されたのです。(IIコリント8:9)そして今もなお、ご自分を主と告白する者(信ずる者)をこの祝福に招き入れてくださるのです。栄光がイエス様にありますように。

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