召しに相応しい教会の一致

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エペソ書の前半(1~3章)では、クリスチャンが恵みによって与えられている立場について教えられ、後半(4~6章)はその立場(召し)に相応しい歩みをするようにと勧めがされています。信者の群れである教会においては一致が、個人の生活においては聖さが、家庭においては調和が、そして悪との戦いにおいては堅忍が勧められています。今回は一人のクリスチャンがバプテスマを受けて教会に加えられることを覚えつつ、召された者(救われた者)が教会を形成する上での一致の重要性を学びたいと思います。(エペソ4:1-6)

I. 召しに相応しく歩む命令(1節)
主にあって囚人の立場にあるパウロは、3章まで教理を提供し、この章から実践を促していきます。後半(4~6章)のテーマは「歩み」です。神様の主権により救いへの召命(救いの立場)を受けたクリスチャンは、その立場に見合った生き方が求められています。パウロは信者が、主がお望みになり、実現のためにちからをくださるところの姿になることを勧めているのです。

II. 召しに相応しく歩む意味(2~3節)
召しに相応しく歩むことを教会として実践する時に、教会(信者の群れ)の一致が保たれます。この一致のために必要な4つの事柄(美点)をパウロは列挙します。
先ず、謙遜です。謙遜は自信の価値の低さを認めるとともに、神様の御力を認識します。パウロは模範を示し、勧めをしています。(使徒20:19; ピリピ2:3) またイエス様の究極の模範(マタイ11:29)を自らの手紙の中で記しています。(ピリピ2:6~11) 神様がお求めになる謙遜はイエス様との交わりから生じるものです。
次に、柔和です。柔和は謙遜に柔らかさを加えるもの、或いは、謙遜が生み出すものと言えるでしょう。自身への攻撃に対して忍耐をもって対応し、復讐を追求しない(自制の)姿勢を取ります。イエス様は柔和なメシヤとしてこの世界においでになられました。(マタイ21:5)パウロはイエス様の柔和さにならい(IIコリント10:1)勧めをしています。(Iコリント4:21; ガラテヤ6:1; Iテモテ6:11; IIテモテ2:25)
パウロは教会における一致のためにすべての謙遜と柔和を動員するようにと勧めています。
さらに、寛容です。これは耐え忍ぶことです。気長である寛容は、謙遜と柔和から生まれるものです。いらいらさせられる事柄に耐えてじっと我慢できる性質です。パウロはこの美点を身に着けるように勧めています。(Iコリント13:4; Iテサロニケ5:14)
最後に、愛による忍耐です。それは挑発が過ぎ去るまで耐える姿を説明します。(自身にも存在する)相手の欠点や失敗を受け入れる姿勢です。プレッシャーがかかる場面等で、単に怒りを覚えながらも体裁を保つということではなく、積極的に愛を表現することです。それは、相手への謙遜、柔和、そして寛容を示すもので、継続的であり、無条件のものです。
これら4つのことに「平和の絆」を加えるのです。これは神様(御霊)が与える一致が破綻しないための留め金の役割です。教会を形成する一人一人のクリスチャンは、忠実に努力してこの一致を保つようにと勧められているのです。

III. 召しに相応しく歩む理由(4~6節)
この箇所で、「一つ」、或いは「ひとり」が合計7回登場します。なぜクリスチャンが召しに相応しく歩むべきなのか、なぜ教会の一致が召しに相応しいのか。それは神様の「一つ」の御心に沿うものであるからです。ペンテコステ(聖霊降臨)以降、どのような区別もなく、すべてのクリスチャンによって主の「からだ」である教会は一つとして存在し、一つの御霊の働きがそこにはあります。(Iコリント12:13) また召しから生じた望み、或いは、召しに含まれている望みは福音の望みでもあり(コロサイ1:23)、栄光の望みでもあります。(ローマ5:2) それは終わりの時に共有するところのイエス様の栄光であり、永遠の相続です。(エペソ1:11~14)教会は、この一つの望みの予告編(プレビュー)の現場と言えるでしょう。なぜなら、個々のクリスチャンがそうであるように、教会としてもかしらであられるイエス様に似る姿を追求していくからです。
死後復活され高く揚げられたイエス様はひとりの主と呼ばれるに相応しいお方です。クリスチャンはこのお方に唯一の信仰を置き、皆共通の聖霊によるバプテスマを受け、その信仰と救いの事実を(父・子・聖霊の名による)水のバプテスマで表明します。
唯一の神様は、この世界の至高の主権者であられ、ご自身の目的達成のためにあらゆるものをお用いになられます。またすべてのクリスチャンの中に住まわれ、すべてのところに同時に存在なさるお方です。

まとめ: 召しに相応しい歩みは、主の教会形成と直結している
クリスチャンが教会に加えられることは、神様の御心であり祝福です。同時に、加入する側も、迎える側にも責任が生じます。クリスチャンとしての年数に関係なく、一人一人が召し(救われた立場)に相応しく歩み、教会の部分として主にあって一致を追求する責任です。イエス様を信じたクリスチャンが教会を形成するのは、それが主の御心であり、主に栄光を帰すことであるからです。一人一人が4つのこと(謙遜、柔和、寛容、愛による忍耐)を実践することを通して御霊による一致を目指す時に、教会のかしらであられるイエス様がお喜びになる、麗しい教会の姿となります。召しの意味、主の救いの目的を今一度考えましょう。教会の部分であることを認識しましょう。あなたの歩みはイエス様の教会形成に貢献しているでしょうか。

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