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イエス様を信じて救われたクリスチャンは神の子どもであること、それは永遠の昔から定められており、信仰によりその地位を得ることができ、将来の栄化において完成することを学びました。今回は神の子どもとされることの結果について学びます。
律法からのあがない(ローマ8:15; ガラテヤ4:4-5):律法の下に生きている人は、しもべのように扱われ、刑罰の恐れに付きまとわれている人です。律法は、神様の絶対的基準を示しますが、それを実行するちからを与えることができません。神様の要求を満たすことができない人間に安心はなく、死と罰の恐怖から逃れることができません。
しかし、イエス様が人間をその状態から解放してくださいました。神の御子であられるイエス様が人の子となられることで、罪人が神の子どもとなることができるようになったのです。これはイエス様が律法を完璧に実行し、その義を私たちに転嫁することで実現したのです。
相続の保証(ガラテヤ4:6-7; エペソ1:11,13-14):人が神の子どもとされたということは、神様がもっておられるものは信仰によってその人のものとなったということです。その人は、成人として、分別のある子として扱われているのです。
ユダヤ人クリスチャンは(国民的特権ではなく)イエス様との結合に基づいての相続権を得ましたが、(ユダヤ人以外の)異邦人も同様です。(信じた人の中に住まわれる)聖霊は、クリスチャンが神様のものであり、終わりの時まで護られることのしるしです。(エペソ4:30)
聖霊の証し(ローマ8:15-16; ガラテヤ4:6-7):新しく生まれた人は、霊的本能によって、自分が神の子どもであることを知っています。おもにみことばによって、その真理を確かなものとするのです。
聖霊は、信じた人に、自分が子であることを気付かせ、神様を“父”と呼ばせるのです。
聖霊による導き(ローマ8:14; ガラテヤ5:18):すべてのクリスチャンは、聖霊に導かれる(ことができる)人です。
愛の訓練(ヘブル12:5-11):神様はご自分の子どもたちに励ましを与えておられます。神様からの訓練は愛に基づくものですから、肯定的に受け入れるべきものです。神様からの教えを学ぶために、耐え忍ぶ必要があるものです。それは子どもであるがゆえの神様のお取り扱いであることを認識しなければなりません。神の子どもには父なる神様への尊敬と服従が必要です。神様は、クリスチャンが、より聖い者へと成長するように、完全な、そして益をもたらす訓練をあえて与えられます。それにより「義という平安の実」を結ばせようとされているのです。
まとめ:神の子どもであることを喜ぼう
神様の子どもとされていることの祝福を感謝しましょう。どのようなことが起ころうとも、子として扱われることの安心があります。子どもは親と取引をする関係ではなく、愛と従順の関係です。(ルカ15章に登場する、“しもべになろうとして”帰ってきた放蕩息子のようにしなくてよいのです。)私たちは不完全な者たちではありますが、完全な神様の愛の取り扱いの中にあるのです。励ましを与え、訓戒し、罪と向き合わせ、成長へと導かれるお方です。神様がご自分の子どもであるクリスチャンにされることは、すべてが愛に基づくものであることを覚えましょう。