従い合う関係(エペソ5:21)

※メッセージをお聴きになりたい方はこちら↓(音声のみです。再生中に、広告が入る場合があります。ご了承ください。投稿期間は約2カ月です。)

結婚は聖書の神様が定めたものです。神様はみことばによって、結婚とはどういうものであるのか、どうあるべきかを教えてくださっています。クリスチャンは神様からの教えを謙虚に受け取るべきです。クリスチャンでない方は、聖書では結婚をどのように教えているかを知っていただきたいと思います。今回は、エペソ5:21にある“互いに従い合う”ことに焦点を当てて学びたいと思います。

*従い合うとはどういう意味か
多くの人が負のイメージを持つであろう“従う”ことは、自分自身を〜の下に並べる/置くことであり、誰か/何かの下に入り、その権威・指導・基準・方針などに対して“自分を整える、自分を合わせる”という意味があります。従うことには、相手が存在し、通常一方向のはずですが、今回の聖書箇所では“互いに”と言われています。互いに従い合うことは、エペソ5:22以降に記されている三つ(夫婦・親子・主人/奴隷)の関係における原則となっています。
夫婦の関係において、夫には家庭での長としての権威(導く役目)が与えられ、妻には従うという立場が与えられているのですが、これは互いに従い合うという土台の上にあることを覚えたいと思います。神様から与えられた立場と役割は違いますが、互いに(生活において)自分を整え、合わせる責任を負っているということです。これは言い換えれば、夫婦が互いに仕え合うということです。(客の必要に応じて、できる限りの対応をするウエイトレスの務めをイメージしてみましょう)“互いに”なのですから、夫が妻を奴隷のように扱っていいということではありませんし、妻は夫にこき使われる惨めな存在ということでもないのです。
互いに仕え合うとはどのようなことであるのか、具体的な事柄を挙げてみましょう。先ず、二人が神様に栄光を帰す夫/妻に、そして夫婦になることができるよう調整することです。そこには、お互いに、譲り合う、待つ(忍耐する)、助ける、カバーすることが含まれます。二人の間に、考え方、価値観、やり方、好み、習慣等における違いがあるのは当たり前のことです。お互いの違いが問題なのではなく、違いがお互いある中でどれだけ、そしてどのように、譲ったり、合わせたりできるかが問われているのです。互いに仕え合う(調整し変えること)にはお互いに努力すること(時には犠牲を払うこと)が求められます。クリスチャンは、結婚という過程において神様によって練られ、自分の罪深さ、足りなさ、頑固さと向き合うように導かれるのです。
互いに仕え合うとは、配偶者が喜ぶことは何かを考えて生活することでもあります。自己中心の生き方ではなく、配偶者中心の生き方をするということです。常に配偶者の話に関心をもって耳を傾けることはその一つです。
互いに仕え合うとは、互いに補い合うことでもあります。配偶者は競争相手ではありませんので、足を引っ張り合うようなことがあってはいけないのです。私/あなたではなく、私たちで生活していき、良いことも、悪いことも共有するのです。
互いに仕え合うとは、お互いの存在を尊重し、喜ぶことでもあります。配偶者への感謝の心を忘れてはいけません。感謝の気持ちを、ことあるごとに言葉と行動で示すべきです。過ちは素直に謝るべきです。二人は一つなのですから、議論に勝っても得はしないのです。“ありがとう、ごめんなさい”が言える関係を保ちましょう。そしてイエス様にあって相手を尊重し大事に扱うべきです。そしてそうされていることを相手が認識していることが重要です。

*従い合うのはなぜか
従い合うことは、結婚関係における命令です。それは神様の御心であり、そのようにすることを神様は喜んでくださいます。それゆえ、この命令を実行する上での動機は「キリストを恐れて」となります。神様には、結婚関係に入った夫婦に果たして欲しい計画があります。それは神様の素晴らしさが(夫婦を通して)あらわされることです。これが結婚の究極の目的です。互いに仕え合うことによって、夫婦の関係を通して神様がほめたたえられるのです。このプロセスにおいて、神様は夫婦を訓練されます。
夫婦を通して神様に栄光を帰すことが出来るためには、二人が霊的成長を促し合い、刺激し合う関係を築く必要があります。日常的に、霊的な会話、共に祈ること、共に信仰書を読むなどの時間を確保する必要があります。二人の関係が悪くなった場合には、速やかな関係回復のために、定期的にコミュニケーションをとる機会を設けておくべきです。

*従い合うお手本とは
従い合うことを実践する上での、究極の模範はイエス様です。(マルコ10:45)イエス様は、神の御子であられるにもかかわらず、仕える立場にご自分を置かれました。家畜小屋でお生まれになり、大工の子として成長され、公の働きを始められてからは、病人を癒し、社会においてのけ者にされている人に寄り添われました。そして十字架刑を受けられました。それは、人間の一番の問題である罪の処理のためのご奉仕でした。そのお方が、従い合うこと(仕え合うこと)を命じておられるのです。

まとめ:結婚は新しい奉仕の機会
結婚における奉仕は神様からの助けを得て可能となります。時間の経過とともにお互いの罪・欠点が露呈してくる中で、傷つけ合うのか(相手のせいにするのか)、互いに謙り、罪を認め合うのかの選択に迫られます。仕えるとは、惨めにどれいのように不幸せに生きることではありません。イエス様を恐れて仕え合うことによって、神様の栄光があらわされ、神様に喜ばれるなら、そのような夫婦の歩みには神様からの祝福(幸福)が約束されているのです。

関連記事

  1. 信仰はどこから来るか

  2. 2012年7月15日 礼拝メッセージ

  3. 7月27日 メシヤに繋がるモーセの時代

  4. 主の受肉の理由①:神の約束を実証するため

  5. 8月18日 招きに応じた集団

  6. 7月5日 罪人の必要を満たす主の死

  1. 2025.11.30

    クリスマスの集いのご案内
  2. 2025.11.30

    牧師の独り言 Vol.43
  3. 2025.11.30

    従い合う関係(エペソ5:21)
  4. 2025.11.23

    恵みの回顧
  5. 2025.11.23

    必要なのは信仰(ローマ3:27~31)

For those who speak English: Although we do not have an English service, we will do our best to assist you when you come to our service. Please contact us.