今、私たちの教会の日曜学校では、出エジプト記を学んでいます。今日は、『燃える柴』(出エジプト2:11〜4:17)を学びました。特に、Jr.クラス(小学高学年)で子供達と学んで教えられたことを中心にシェアさせて頂きたいと思います。
モーセは、神様の不思議なお取り計らいにより、幼少期は実のイスラエル人の母親の元で育ち、その後、エジプトの王女の息子としてエジプトの教育を受け育ちました。そんな彼が大人になり、同胞イスラエル人に対して憐れみの心が芽生えた時、彼はイスラエル人を打ったエジプト人を殺し、ファラオの手から逃れる為にミディアンの地に逃れることになり…と話は続きますが、それぞれのクラスで学ばれたでしょうから、ここで続きを説明するのは控えておきます。
イスラエル人を救い出すご計画を最初から持っておられた神様は、モーセをそのリーダーとして既に選び、全てを動かし働いておられました。だからこそ、モーセはファラオの手から何度も命を護られたのでしょう。
しかし、イスラエル人からしてみれば「神様は祈っても祈っても聞いてくださらない!神様、なぜ助けてくださらないのですか!?」と、神様がまるで祈りを聞いてくださらない、働いておられないかのように落胆していたことでしょう。
一方、モーセが逃れた先のミディアンの地で、40年間という時間を過ごしている間も、モーセをリーダーとするために、彼を羊飼いとして訓練し整えておられました。モーセが神様からの語りかけを聞くまでには、生まれてから実に80年の月日が流れていたのです。
神様が祈りに応えて下さるのは「今すぐ」と期待してしまう傾向が、私たちにはあるかも知れません。今すぐではなくても、何年も待たされることは誰も望みません。でも、私たちの神様は私たちの祈りをいつも聞き、その為に御手を動かし働き、1番最善の時に応えて下さる主です!だから、イスラエル人の祈りと叫びを聞いておられた主は、イスラエル人やモーセが知らないところで確実に働き、そして主が定めた「時」が来た時、イスラエル人をエジプトから救い出す計画は実行に移されたのです。
しかし、肝心のモーセが神様からの語りかけに「はい!」と言えず、何度も何度も「無理です!」と応える始末です…。でも神様は、私たちに出来ないことは命令されないお方です。私たちの力が0%であっても、神様の御力は100%(それ以上ですが)であり、私たちに必ず必要な力を与え助けて下さるお方です!だから、私たちに必要なのは、神様の御力を信じ従う事です。モーセは最終的に神様の御力を信じ従いました。
日曜学校に続いての礼拝において、「神様は私たち1人ひとりが、神様の為に実を結ぶ者となることを望んでおられる」と、メッセージの最後で語られました。神様の為に実を結ぶ者は、神様としっかり結合されている者でなければなりません。クリスチャンはイエス様を信じ、イエス様と結合させられた者ですから、ある意味、全てのクリスチャンは「神様の為に実を結ぶ者」にして頂けるわけです。しかし、あるクリスチャンは(私も含めて)モーセと同じように「無理です」と言います。でも、神様が必ず助け導いて下さると約束されているのですから、私たちは信じて従えば良いのだとモーセのお話に重ねて、確信することができました!
今週の1人ひとりの歩みが、イエス様の心を心とし、神様の為に実を結ぶものとなりますように。