秋の雰囲気も漂い始め、寒い朝の続く日々となりました。今日も素晴らしい日曜日を神様が与えてくださり感謝です。
最近のメッセージは「聖化」について語られ、今日がそのテーマでは最後のメッセージとなりました。約2ヶ月前からそのテーマで語られ、多くの学びをいただきました。
今日のメッセージでは「イエス様に似た人になりたいですか?」という問いかけをされました。わたし自身、「もちろん、はい!」と最初は考えましたが、学んでいくなかでただ「はい!」とは言えないことがわかってきました。
私が、イエス様に似た者へとなるためには聖化の前進が必要でありますが、それは神様が全てをしてくださるのではなく、私にも責任があります。その責任とは「信じること」、「聖さを追求すること」でした。
聖さの追求について具体的に学びましたが、それは「みことばの教えを求める」、「勧めを受け入れる」、「神様に生涯を献げる」という3つのことでした。
特に私は「神様に生涯を献げる」ことについて多く学びました。これは3つのうちの1つというものではなく、とても大切な1つのこととして心に留めることができました。
イエス様は私のために十字架にかかり、死んで、3日目によみがえってくださいました。そして私が救われて、新たに、神様のために生きる方法とチャンスを与えてくださいました。それに私はお返しすることなどできないことです。だけどお返しすることのできるものがあるならそれは1つです。イエス様のために生きること。イエス様の与えてくださった「イエス様のために生きる方法とチャンス」にお応えすること。
イエス様はただ、私たちがイエス様のために生き、イエス様の愛にお応えする歩みをすることを望んで、期待しておられるのではないでしょうか。
私はイエス様に似た人に変えられる歩みのなかで、イエス様のために生きるものであらせていただきたいです。
メッセージの最後に「あなたはイエス様に似た人になりたいですか?」ともう一度問われました。
私の今の答えは「はい。でもこれは簡単なことでも軽いことでもない。それでもイエス様が私に与えてくださった大きな愛にお応えしたいし、そのイエス様が喜ばれるクリスチャンへと変えられていきたい。だから神様、ただ私にわずかであっても聖化の階段を一歩ずつ確実に上らせてください。」というものに変えられました。