今日の礼拝メッセージでは「信仰者の試練」というテーマで学ばせていただきました。
イエス様による救いをいただいた私たちは信仰者としていろいろな難しさや試練をこれまで経験し、これからも経験していく事になります。信仰者としてさまざまな苦しみがある中でその苦しみに勝利し、乗り越えていく為に、試練を予期するようにとペテロは言っています。
試練は必ず起こるものであり、それは神様の御心の内に、神様のゆるしの中で起こっているもので、そこには神様の目的があり、試練は私たちの信仰を試す為のものであるという事を教えていただきました。その為、試練があってもその事に驚いてはいけないとペテロは言っており、たまたま偶然に起こったものとして受け止めてもいけません。
神様は私たちを試され、不純物を取り除かれ、聖い者とする為に、あえて私たちが歓迎しない状況や事を起こされるという事を教えていただきました。
苦しみはまさにイエス様が通られた所です。イエス様が受けられた理不尽で不当な取り扱いや、「世においては苦難がある」とのイエス様の教えを念頭に、試練を予期しながら、試練は自分の成長の為にあるという事を心から受け入れる者でありたいです。
また、ペテロは試練を予期するだけでなく、試練を喜びなさいとも命じています。試練はイエス様の苦しみに自分も参加するという事であり、義の為に迫害される者は大いに喜びなさいとイエス様はおっしゃっておられます。信仰者として正しい事を選択していけば苦しむ事もたくさんあります。イエス様が人として受けられたお苦しみ、拒絶や非難や痛みを受ける事は私たちにも可能な事で、それはイエス様の苦難を共にしているという事を教えていただきました。
イエス様を信じて救われ私たちは歩みが変えられました。そこには信仰者だからこその苦しみや悩みがあり、それはイエス様の苦しみにあずかるという事にもなります。それは試練を受けた時に喜ぶ事が出来る動機の一つという事も教えていただきました。
さらにペテロは、試練は必ず起こるもの、その苦しみに囚われるだけではなく、試練の先にある栄光を見るようにとも言っています。
どのような試練であっても必ず終わりがあり、救われた私たちは近い将来、イエス様の栄光があらわされるその時に本当の喜びを経験させていただけます。その将来の大きな喜びを想定する時に現在においても喜ぶ事は可能であるという事を教えていただきました。
信仰者として試練は必ず起こるものですが、その試練を通る時に私たちはイエス様に似た者へと成長できます。それだけではなくイエス様の御業ゆえに、イエス様の模範のゆえに、イエス様が教えてくださった事のゆえに、苦しみの中にあっても私たちは主にあって喜ぶ事が出来るので、そのような歩みへと変えていただけた事を心から感謝します。
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