主の恵みと憐れみによって、霊的にも肉体的にも「今日」という日に生かされ、愛する主に礼拝をお捧げでき感謝でした。
今日のリトルクラスのレッスンでは小さな子供達と一緒に、聖書から「十字架」のお話を聞きました。子供達が十字架のお話を真剣に、また素直で真っ直ぐな眼差しで聞いている姿を見ていると、「幼い」という時期は本当に素晴らしい時だと思いました。子どもの頃は、聞いた事をそのまま受け入れる柔らかい心があるので、福音に対しても素直に純粋に受け入れる心が与えられているからです。
「十字架」のメッセージは、神様が罪人の為に用意して下さった「救いの道があることの良い知らせ」、そして「罪人が自分の罪を悔い改める時に与えられる罪の赦しと永遠の命の約束」という本当にストレートな神様の愛のメッセージです。Ⅰテモテ1:15にあるように、「そのまま受け入れるに値する」この世で聞く事ができる最大の、最良のメッセージです。
でも、大人はいつしか幼い頃に持っていた純粋な素直な心が薄れていき、その純粋な心を邪魔する心(罪)の声が「おまえは大丈夫だ!深く考えるな!!」と、死に対しても、死後の事も考えなくしてしまいます。
でも私達は礼拝メッセージにおいても、主の御声を聖書を通して聞く事ができました!
イエス様はすべての人(全人類)の為に死なれたのは事実だけれど、救われるのは「イエス様を自分の罪からの救い主と信じ受け入れた人」です!と語られました。だれでも天国に行けると聖書は言っていません!イエス様を信じるなら、誰でも救われる!!!と。
このメッセージは、今もまだ神様からの「恵みの時」が延ばされているので、今を生きている全ての人への招きです。
しかし、この恵みの招きは永遠に続きません。だからこそ「明日」ではなく、「今日」という日に、幼い子供達、また大人達も恵みの招きにお応えできますように。