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クリスチャンでない方が教会に来ると、クリスチャンの“感謝”の表現に気付かれることがしばしばです。クリスチャンは感謝で特徴付けられる人々です。(そしてそうあるべきです)パウロは今回の箇所から15節にかけて、自分とローマにある教会(のクリスチャン)との関係について述べています。そこには、パウロにとって彼らがどれほど尊い存在であるかが表現され、また聖徒を細やかに扱う牧会的ケアの模範が示されています。
*パウロの感謝(8節前半):パウロは(聖書の部分となっている自分が書いた)ほとんどすべての手紙の受け取り手に対して、感謝を表現し、各手紙の冒頭で彼らの良い点をほめています。彼の感謝はイエス様を「通して」です。イエス様は、神様と人の間の唯一の仲介者です。このお方を通して、神様の愛と赦しは与えられました。またユダヤ人と異邦人との隔ての壁が壊されたのです。(ローマ7:25; Iコリント1:4)その事実は(イエス様にある)クリスチャンの、そして教会の感謝の歩みをスタートさせました。不満の多いこの世界に生きる者として、感謝に満ちたクリスチャンの存在は常に際立つのです。(またそうでなければなりません)
*パウロの感謝の理由(8節後半):パウロはローマのクリスチャンたちの本物の信仰について、そしてそのことが公に報告されていることについて感謝しました。(ローマ16:19)彼らの証し(評判)は、当時のローマ帝国の支配の及ぶ場所、特に福音がすでに伝わっている地域すべてに知れ渡っていたのです。彼らの存在の大きさは、時の皇帝が彼らをローマから退去させる命令を出さなければならないほどのものでした。パウロの感謝は彼らの信仰に基づいています。それはパウロの信仰者としての価値観を反映しているとも言えます。
*パウロの感謝の程度(9~10節):パウロは、自分の感謝については神様が証明してくださると述べています。パウロはこの神様にお仕えする者(この神様を礼拝する者)へと変えられました。パウロの霊的働きは(パリサイ人として生きていた時のようではなく、また神への恐怖や律法的義務によってではなく)真心からのものであり、偽りのないものです。パウロが神様の証明(証し)を必要とした理由については以下のことが考えられます。①絶えず彼らのために祈っている(或いは考えている)ことは、まだ会ったことのない人々のためにすることとしては普通あり得ない。②エルサレムへ向けて旅立とうとしている(15:25)彼は、ローマのクリスチャンたちを優先しているようには思われない。
パウロはローマのクリスチャンのことをいつも思い(話題にし)祈っていました。(彼はしばしば祈りの内容を記します)また祈りを要請する信仰者でもあり、また人々が祈りの輪に加わることを促してもいます。(ローマ15:30; エペソ6:19-20)しかし彼の祈りには、神様の御心が行われるようにとの大前提がありました。(マタイ6:10; ヤコブ4:15)神様の主権によって状況が整えられることを願いつつ、感謝をささげる存在であるローマの兄姉との交わりを願いました。彼の祈りは彼が(必ずしも望んでなかった)想像していなかったかたちで聞かれました。その過程には、逮捕され、舟が難破し、毒蛇にかまれることも含まれていました。
まとめ:あなたの信仰の証しはどのようなものですか
あなたの信仰者としての歩みは、兄弟姉妹の神様への感謝を掻き立てるものでしょうか。(IIIヨハネ4)人が救われることは素晴らしいです。しかし救われた人が着実に成長している姿を見聞きすることはさらに素晴らしいです。神様(聖霊)のみわざが、一人の信仰者の歩みをさらに高みへと導いておられるのを確認できることは大きな励ましです。私たち兄弟姉妹はお互いにそのような存在であるべきです。それはクリスチャンが信じお仕えしているイエス様に栄光を帰すことになるからです。