毎週、教会のクリスチャンが、「恵みの回顧」を交代で書いてくださっていますが、今日から、第五日曜日がある時には、私が「牧師の独り言」を書いていきたいと思います。ネットを検索すると、結構多くの牧師が「牧師の独り言」を書いておられますので、途中からタイトルを変更するかもしれません。
今日は、教会に通常集うクリスチャンのほとんどがオンライン礼拝(自宅礼拝)となり、見えるところにおいては、「寂しい」人数での礼拝となりました。しかし、共に同じ主イエス様を見上げ、賛美をささげ、聖書を学ぶことができました。今「私は聖書を信じる」シリーズをやっていますが、次回(8回目)でおそらく一区切りつくのではないかと思っています。
今、週に三日程度、会社に行って働いています。モノを作る会社ですが、一日に、何台かを完成させます。一日の終わりに、働いた「結果」をかたちとして見ることができます。教会の建物周辺の草刈りをしています。(結構好きです。)刈ったら刈っただけ「結果」を見ることができます。しかし、教会の活動(働き)は、時間をかけて何かをしたら、「結果」を見ることができるというわけでは必ずしもありません。むしろそうでないことのほうが多いのです。「神様を見上げながら」、「神様のために」ということでなければ、続けられません。世の中では「結果がすべて」であるのかもしれません。しかし、神様は私たちの活動の過程(プロセス)と心を見てくださるのですね。そして、私たちが正しい視点をもって行う時に、ムダではないことを教えられるのです。
昨日、長女がティーンになりました。そう、13歳になったのです。彼女が寝る前に「育ててくれてありがとう」と言って、ハグしてくれました。なんか感動しました。(これは父親の独り言ですね)まだ、子育てが終わったわけではありませんが、これは神様がいくらか見せてくださっている「結果」であるのかなぁと思わされているところです。