家族と共に1週間の休暇をいただいた。ここ2週間の礼拝メッセージの奉仕からは”解放”された。このようなことは滅多にあることではない。牧師としての経験が浅い自分、そしてそのようなことを言えるほどの働きをしてはいないが、最近”働き過ぎないこと”について教えられている。”牧師は遊んでいてはいけない”、”休んでいてはいけない”、”趣味なんかそもそも持ってはいけない” 前の世代(そして今)の牧師たちの多くはそう思っていた(いる)だろうし、そう周りから思われていた(いる)のではないか。とにかくすべてを教会の働きにつぎ込む。家族を、親子の関係を、夫婦の関係を、そして自分自身を犠牲にしても。それでも”教会の働きが祝されればいいじゃないか”という納得の仕方でずっと走り続ける。それは多くの牧師たちがしてきたことかもしれない。しかし、神様はそのような”犠牲”を本当に求めておられるのだろうか、と考えさせられている。何事もバランスだ。牧会は片手間でできるものではないことはわかっているつもり。しかし、一方で自分、そして家族を大事にしてこそ、神様から与えられた牧師としての働きが充実したものになるのではないかとも思う。アメリカでの話だと思うが、毎年何千人という牧師が辞めていくとか。それは経済や健康の問題ゆえではない。様々なプレッシャーゆえの燃え尽きが原因とのこと。働きを抱え込みすぎることによって、ある時心が折れてしまうのだろう。教会の働きに集中するあまり自分自身さえも顧みる(ケアする)ことをおろそかにしたゆえだろう。最近読んだ本で印象に残っていることは、”自分がいなくたって世界は回っていく”ということ。ともすれば、”自分がこれをやらなければ”という高慢さが自分を追い詰めることになっているかもしれない。神様が求めておられない範囲にまで手を出して自分の首を絞めるようなことをしているかもしれない。とにかくすべてを完璧にこなすことが神様に栄光を帰すことだと勘違いしているかもしれない。自分の中でこれについて未だ答えはでていない。でも休暇をいただいてこれはわかる。牧師にもオフは必要だしリフレッシュも必要だ。次なる働きがより効果的なものとなるために。
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