(※以下の回顧録は娘の検閲を受け、了解を得て記していることをお断りしておきます)
2025年3月4日 ついにその日がやって来た。21年ぶりのアメリカ訪問。半年前には考えてもみなかった旅へ。メインの目的は長女が考え祈っている神学校の見学。この20年余り、コロナを含め様々なことがあり変化を経験した。学生時代に過ごしたアメリカに行き、「帰って来た」という懐かしさのような感覚になるのだろうか。見送りの家族に別れを告げ(意外にも娘は泣いていた)、岐阜羽島駅からひかりに乗車。(2つのスーツケースは昨日のうちに羽田空港に到着しているはず。駅に向かう途中 宅配業者からカバーの損傷についての連絡があった。彼らの誠実さに感謝)富士山を見られたら、と進行方向左手に座ったものの、今日の天気ではおそらく無理と判断し、右側の3列シートに移動。途中 妻が作ってくれた昼食(おにぎり)をいただく。(しばらく日本食とはお別れか)娘はすでに乗り物酔い状態に。まだ飛行機に乗ってもいないのに。(これは先が思いやられる)というわけで娘は車内で昼食を食べることなく、品川に到着。ここから羽田空港第3ターミナルへ電車で行くには二通りあるが、京浜急行を選択。(東京モノレールにも乗ってみたかったが、JR山手線を乗り継ぐ必要があったので断念)新幹線から京急への乗り換えについては、ネットの動画を何度も視聴したし、床に丁寧にラインが塗装されているので迷う心配なし。到着した京急のホームには空港に向かうと思われる荷物を抱えた人々が多数。どうやら京急乗車で娘の酔い状態はピークに達した模様。それでも何とか、羽田空港第3ターミナルの出発ロビーに到着。宅配業者からスーツケースを受け取り、預け荷物のチェックインの場所へ。(この20年の間にあらゆることがデジタル化され、搭乗手続きもスマホで事前にできるようになった。しかしデジタル化に遅れをとった者としては、手元に紙ベースの搭乗券がないのは何か不安)荷物のチェックインをグランドスタッフに助けてもらって無事完了。(一つのスーツケースはこの20年車庫に眠っていたものを引っ張り出してきた。大方布製なので強度はないが、中身が衣類中心なら多分大丈夫と思い、連れて行った。一昔前のものなのでサイズ的にクリアーするのか心配だったがなんとかベルトコンベアを流れて行くのを確認。しかし彼にとって長旅は相当きつかったようで、今回が最後の旅となった)さて娘はというと体調はある程度落ち着いたようだが、それほど食欲もなく妻が作ってくれたホットサンドの大半は私が召し上がることに。それにしても、空港の様子を見ていると、これだけの人が毎日国内外から移動していることの不思議を想う。手荷物検査を通る前に、2つの買い物が必要だった。これについては次回に。その②に続く
牧師の独り言 Vol.33 渡米回顧録その①
