ミネアポリスからウィスコンシン州ミルウォーキーにあるジェネラル・ミッチェル国際空港までは約480kmで、東京から大阪へ行くより少し短い距離だが、飛行機で1時間ほど。今度の飛行機は国内線のため、当然国際線より小型の飛行機となる。そうなると機内の荷物スペースは限られる。乗り込むのが後になればなるほどそのスペースは失われる。というわけで搭乗直前にゲートで荷物を預けることになった。機内に乗り込み離陸まで結構待つ。すぐには離陸できないなんらかの理由があった模様。
無事ミルウォーキーの空港に到着。荷物はゲートで預けたものも含めてバゲージクレイム(手荷物受取所)にて無事回収。ほどなくして迎えに来てくださったO兄と初対面。会う前から様々な助けをいただきこのようにお会いできたこと(そしてこれからお世話になること)を感謝。駐車場に移動しO兄の車に乗り込む。娘は日本の感覚で左側(運転席側)に乗ろうとする。車中では、父のことを御存知だった先生のことが話題にのぼる。
まずは車で宿泊先となっている教会所有の宿へ。さっと着替えて、前日からカンファレンスが始まっている教会へに15~20分ほど(夜の集会に)遅れて到着。会衆讃美の中、O兄の娘さんA姉が席まで私たちを案内してくださった。いつも配信で観ていたあの光景に足を踏み入れる。まだ体は時差ボケには気付いていない(ようだ)。この時の讃美は、この教会(神学校)の牧師・教師たちが作詞・作曲したもの。カンファレンスのたびごとに、自前で讃美を作ってしまうなんて。讃美に限らず、様々なことが主にあって丁寧に手間をかけて、そして目的をもって準備されているのを垣間見る。そしてそこには多くの“見えない奉仕者の手”があるということ。私たちの前列にはオハイオ州からの牧師家族が座っていた。子供たちは、きょうだいなのにカップルみたいに仲がいい。
この集会では、教会の主任牧師が「教会に対するキリストの心」について黙示録3章からメッセージ。黙示録の冒頭で7つの教会に語られていることは、牧師たちへのメッセージでもある。イエス様は各教会の状態を深く顧みておられる。イエス様は、教会がどのような状態にあるかについて正しく把握することをお求めになる。真の状態をわかっていない、或いは自己満足に陥り、霊的とすることについて誤解しているかもしれない。世的なクリスチャンは価値がなく、実も結ばない。イエス様が与える真の豊かさを求めなければならない。またイエス様は、聖霊の指摘を受け入れることをお求めになる。私たちは常に悔い改めを必要としている。だから戒められ、懲らしめられ、訓練を与えられる。さらにイエス様は聖書的な罪の確信(罪の気づきと悔い改め)に到達することをお求めになる。私たちは敬虔な情熱、そして悔い改めを呼びかけられている。そしてこれは説教者(牧師)から始まる。(始まらなければならない)最後にイエス様は交わりの招きに応えることをお求めになる。私たちが神様と交流している時、世的になることはない。イエス様は、ご自分が私たちの歩みにおける情熱の中心となることをお求めになっている。ドアを叩いておられるイエス様をあなたは迎え入れようとしている。これが締めくくりのチャレンジだった。
最初のメッセージから深く強く語られた。“牧師たちへのメッセージ”という部分にも重点をおいている今回のカンファレンスに出席できる恵みを覚える。(その⑥に続く)