今年 二人目の受浸者が与えられた。クリスチャン家庭に生まれた彼女は、幼い頃から福音に豊かに触れる機会を得た。いろんな集会、いろんな説教者、そして様々な聖書のお話・学びの機会を通して、神様は彼女を信仰者になるように捕らえてくださった。イエス様に対する信仰告白は、クリスチャン家庭に生まれたからといっても、自動的には起こらないし、時間の問題でもない。神様は語り続けられた。そして彼女は応答することを自分で選び信じた。みことばを語る者としては、福音を語り続けることの大切さを再確認させられる。すべてのメッセージが福音メッセージとは言えない。しかし福音的要素は常に盛り込んでおく必要を教えられる。忠実に語り続けるなら、神様は、神様のタイミングで働いてくださり、魂を救いへと導かれる。その意味において、なお定期的に教会に集われているけれども、信仰告白ができていない方々がおられることは、幸いなこと。神様のみわざは、きっとこれらの方々の上になされるだろう。それを期待して祈り続け、語り続けたい。イエス様を個人的に信じるのは、どのタイミングであってもいい。(一日も早くではあるが)今日 教会に加えられた姉妹は中学一年生。救いの喜びにとどまらず、神様に用いられたい願いがあることにとても励まされる。姉妹が教会の部分となって(これから長く続くであろう信仰生涯において)どのような働きをするのかがとても楽しみ。“正式”に信仰者としての歩みを始めた姉妹の信仰が護られ強められ、着実な成長へと導かれることを祈る。そして姉妹を通して主の御心が豊かなかたちで行われますように。
牧師の独り言 Vol.39
