神のさばきは公平か(ローマ 2:12~16)

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日本で裁判となる件数は刑事事件だけでも年間数万件にのぼります。人が人を裁くのですから、間違いも起こり、最悪の場合には冤罪となりえます。それゆえ公平・公正ではない裁判はこれからも行われるでしょう。神様のさばきにはえこひいきがないことはすでに学んだとおりですが、ユダヤ人と異邦人との間で問題にさらされるこの原則について深堀りしていきたいと思います。

*神はご自分の基準を皆に示しておられる(12~15節)
神様からの律法を持っている者とそうでない者が存在する現実の中で、まずパウロは、ユダヤ人には律法(神のことば)が与えられていることについて述べます。ユダヤ人(そして神の道徳的律法を知る一部の異邦人)は、その、より豊かな知識ゆえに責任を負うのです。(マタイ11:20~23)「律法の下にあって罪を犯した者」とは、ユダヤ人にとって違和感のある表現ですが、パウロはここで意図的に罪と律法を結び付けています。それは、本当の義人とはどのような人であるかを明確にするためです。パウロは、律法を持っていることではなく(聞くだけでなく)、行うことが重要であると語ることで、(神に受け入れられるための)律法に対する限定的(部分的)な従順を当てにしているユダヤ人の立場(考え)を削ごうとしているのです。絶対的に義なる神様に義と認められるためには、完璧な従順を必要としています。(それは誰も達成できません ローマ3:20)パウロは、人間が作った義という(もろく不安定な)ものを破壊し、キリスト様にあって神様が与える義という頑丈な土台を提示しているのです。
パウロは、“律法を知らないのに罪と認定されるのか”という問いにも答えを与えます。(十戒のような)神様の道徳的律法を知る機会のなかった異邦人たちは、彼らに与えられている限定的な知識との関係においてその不従順をさばかれます。神様が彼らに与えた啓示に応じてさばかれる、つまりその啓示に従って生きないとさばかれるということです。異邦人も、嘘・盗み・姦淫・殺人が悪であると本能的に知っています。道徳的本能から、“善悪のおきて”をもっているのです。異邦人にも実は“律法”が与えられているのであり、この事実は、さばきをする上での十分な基準となるのです。異邦人が滅びるのは、ユダヤ人のように律法をもっていないからではなく、罪を犯すからなのです。人は、一般的に人の間で広く認識され尊重されている道徳的倫理的要求に基づいて生きようとするものです。善行の実践や悪行への嫌悪感は、神様の律法を認識していること、また善悪の認識があることを行動によって示しているということです。律法を持たない者でも、律法が命じるところの同じ行いについて認識し、良心の働きによって、場合によっては罪悪感を持つことになります。パウロは、律法がユダヤ人の間で役割を果たすように、良心は、概ね同じ機能を異邦人世界においても果たしていると述べます。神様は良心を通して語っておられることにより、律法を知らない者も善悪の狭間で闘うことになりますが、神様の基準を認めるかどうかは人の選択によります。

*神はご自分の基準にしたがって皆をさばかれる(16節)
パウロは、人は、律法あるなしに関わらず皆さばかれると述べます。彼の語る福音には、さばきの現実と、それがイエス様によっておこなわれることが含まれているのです。イエス様は(主として)人の行動の裏側にある動機をおさばきになります。(I歴代28:9; 伝道者の書12:14)神様の正しいさばきは人の行いに応じてなされるのです。

まとめ:神はすべてを正しくさばかれる
神様のさばきの土台は人の行いであり、そのさばきの基準は人の知識であることを覚えたいと思います。救いにおいて、ユダヤ人にとって有利というわけでなく、異邦人にとって不利というわけでもありません。神様はご自分の善悪の基準で人を取り扱われます。人に与えられた光(知識)の程度に応じて、神様のさばきが下るのです。(ルカ12:47-48)神様は最終的にすべてを正されます。
この事実を知っているクリスチャンは、「隠れた事柄をさばかれる」お方の前に正しい動機で歩むべきです。神様を畏れ敬う歩み、聖霊なる神様の御声に耳を傾ける歩みをすべきです。すべてのことを(人にではなく)神様に対してするようにすべきです。目の前の損得、勝ち負けにとらわれることから解放された歩みをすべきです。
一方クリスチャンでない人は、「隠れた事柄をさばかれる」お方の前に速やかにひれ伏すべきです。まことの神様の前に、自分は罪のある人間であることを認めましょう。自分の罪のために身代わりとなって死なれたイエス様を信じ受け入れましょう。

 

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