神の怒り(ローマ1:18~23)

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すべての怒りが悪ではありませんが、誤った怒りは物事を悪化させる入り口となります。聖書の神様は愛と慈しみのお方であられる一方で怒られるお方でもあります。今回は神の怒りについて学びます。

パウロは神様からの義を紹介した後(1:17)、(1:18~3:20において)人の罪深さの証拠を指摘し、神様のみが与えることのできる義がどうしても必要であることを教えていきます。

*神の怒りの現実(18節) 
人間は福音がなければ滅びてしまう存在です。神様は罪を憎まれ、罪に対して怒りを向けられるからです。神様の怒りは、正しいお方による、確固たる、揺るぎない応答です。(詩篇45:7; エペソ5:6; コロサイ3:5-6)聖く正しいお方であられ、罪を見逃すことができない神様の怒りは常に公開されています。その怒りは、真の神様に対する敬意・献身・礼拝の欠如に対して、また不敬虔の結果としての、思い・言葉・行動における、神様への不従順に向けられています。人の良心には神様についての知識が伝達されているのですが、真理の対極にある不義が邪魔をしているのです。反論の余地がない、人の良心・神の創造・みことばという証拠がありながら、人間は、自身の罪を固く握ったまま、真理に対抗し反対するのです。(詩篇14:1)
神様の怒りは、間接的には、世界の道徳的きまりを破ることによる必然の結果をとおして、また直接的には、神様の個人的な介入をとおしてあらわされています。罪に対する最も生々しい、神様の聖なる怒りと嫌悪のあらわれは、十字架上における御子イエス様の上にくだされたさばきです。
神様の怒りには、①(人を地獄に入れる)永遠の怒り、②(最終的主の日に起こる)終末的怒り、③大惨事を引き起こすような憤怒、④当然の報いとしての怒り(蒔く/刈るの原則)、そして⑤放任の怒り(人を放任し、欲望や堕落のままに歩ませる)があります。今学んでいる箇所は⑤にあたります。神様の罪に対する怒りは決定的なものであるため、人は信仰によって義と認められる必要があるのです。

*神の怒りの理由(19~23節)
神様がお怒りになるのは、ご自分を啓示されたにも関わらず(19~20節)、人間は傲慢さを手放さず(21~22)、偶像礼拝に走る(23節)からです。
パウロは、人が滅びるのは、その人に福音の知識がないからではなく、すでに与えられた光を拒んだからだと言います。神様は理性と道徳律によって人の性質の中に、神様の存在の証拠となるものを植え付けてくださいました。(〇理性:感情や欲望に流されず、正しく判断し、行動を制御する知的な力 〇道徳律:人が“なすべきこと”を自分の中で知っており、それに従って生きようとする内なる律法)
神様の永遠の力と神性は明らかにされています。被造物は、神様の御人格(ご性質)についての明確な説明をしており、神の創造物(天体等)によって、神の存在を知ることができます。(詩篇19:1-6)神様の永遠の力は、人が見るすべてを造り、常に保っておられる力です。この箇所での神性は、特に忠実さ、優しさ、寛大さを説明しています。そのようにして神様を知ることができるにも関わらずそうしないため、罪に定められるのです。神様は被造物によってご自分を示しておられるものについて認識することを拒むすべての者に責任を問われます。福音を聞く機会がなかった人でさえ、神様の存在と性質についての明確な証しを受け取っているのですが、その上で認めることをせず、無視し、拒否しているからです。もし人がすでに得ている神様の啓示に応答するなら、(それが単に自然に関するものであっても)神様は福音を聞く方法を備えてくださるはずです。(使徒17:27)
人は神様の存在・力・神としての性質を自覚していながら、神様を礼拝する(栄光を帰す)ことをしません。自分たちが楽しんでいる良いものが神様からのものであることを認めて感謝をすることもしません。むしろ、人間的な意味や目的の探求によって、空しい無意味な結論に行きつくのです。人が真実を拒絶するなら、霊的偽りの闇が場所を占めることになります。神様からの光を拒むため、神様についての真実がわからなくなるのです。罪を理屈で正当化し、神・世界・自分自身についての自分なりの考え方を考案し信じることによって、愚かさを証明しています。(詩篇53:1)
人は、偶像をまことの神様と入れ替え頼るようになりました。人々が拝む偽りの神は存在しないのですが、悪霊はしばしば彼らに成りすますのです。(Iコリント10:20)

まとめ:朽ちるものに頼る者はまことの神にさばかれる
神様の存在は示されていますから、人が探求するならば見出すことができます。しかし人は、まことの神様に関心がなく、様々なことによって時間的にも心の面においてもこの最も大事なことを思いめぐらす余裕がありません。多くの人にとって、まことの神様は、“わからない、難しい”ということではなく、“認めたくない、信じたくない”存在なのです。一方で人は自分たちに都合のよい偶像を作り上げます。その結果、神様の怒りの対象となり続けるのです。愛と慈しみに富んでおられる神様を認め、救いの方法を受け取る必要があります。そのままであるならば、神様の怒りは確実に下されるからです。(ヨハネ3:36)まことの神様を認め、救い主となられたイエス様を信じましょう。すでに御子イエス様を信じ、永遠のいのちをいただき、神の怒りを逃れることができたクリスチャンはその幸いを感謝し神様をほめたたえ神様に栄光を帰す歩みをしていきましょう。

 

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