私は聖書の神を信じる⑫:愛なる神③

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私たち日本人は「自然の恵み、大地の恵み」などの表現をよく使いますが、恵みの本当の意味を理解していない、いや理解するのが難しいのではないかと思います。その理由の一つは“報いの文化”というものでしょう。“頑張ることによって報われる”ことが子どもの時から教え込まれ、“できないのは怠惰だからだ”となる一方で、報い(結果)を求めて頑張り過ぎて自分を追い詰めてしまう場合も少なくありません。もう一つはプライドでしょう。“報いの文化”が事実ならばこれは必然です。何もしないで、タダで報いをもらうことはできないし、そのようにしてもらったものに価値観を覚えることは困難です。しかし、聖書の神様は恵みの神様です。今回は、恵みに焦点を当てたいと思います。

I. 人々にもたらされる神の恵み
神様の恵みは“ふさわしくない者に対して無条件に示される神の善意”と言えるでしょう。この恵みには2種類ありますが、一つは(前回学んだ博愛と関連しますが)神様がすべての人に(広く)恵みを示す方法で一般恩寵というものです。
神様の恵みは、神様のご性質であるのみならず、イエス様ご自身でもあります。(テトス2:11) イエス様が肉体を取られたことは恵みであり、また堕落した人間に対する最高の贈り物となられたことも恵みです。(詩篇144:1; ヨハネ1:14) これは、イエス様を信じるすべての人の、すべての罪をカバーする(まかなう)に十分な犠牲が払われたことを意味します。
寛容と忍耐の中にあらわされる:神様は罪深い人々に対して、短気ではあられず、忍耐と寛容をもってお取り扱いくださいます。神様は最初の人アダムとエバが罪を犯したときにすぐさま罰することもおできなりましたが、一定の猶予期間をお与えになりました。(出エジプト34:6; ローマ2:4-5; 3:25; 9:22; Iペテロ3:20; IIペテロ3:9, 15)
神が救いを備えられたことの中において:イエス様はこの世界全体のための宥めのささげ物となられました。(Iヨハネ2:2)
罪を悟らせる聖霊の働きの中において:聖霊なる神様の働きは、人の罪をとがめることではなく、救い主の必要を認めさせることです。(ヨハネ16:8)
クリスチャンの影響の中において:まことの神様を知り、まことの救いをいただいているクリスチャンの存在を、神様はご自分の恵みをあらわす方法としてお用いになります。クリスチャンの正しい生き方が社会において一定の罪の抑止力となり、愛と恵みに富んでおられるお方を反映して社会において祝福をもたらすのです。(マタイ5:13-14)

II. 信者にもたらされる神の特別な恵み
信者の選びにおいて:神様は、私たちクリスチャンを神に相応しいものとするために創造の前から選んでくださいました。そしてこの選びは神の愛によってなされたのです。また私たちの選びは、私たちがイエス様の富と祝福を分かち合うのみでなく、イエス様のご性質を受け継ぐためでもあるのです。(エペソ1:4-6)
信者の贖いにおいて:イエス様の十字架における犠牲は、罪の奴隷となっていた私たちのための支払いでした。贖いの代価はイエス様の死です。贖いは神様の無限の恵みをもたらし、私たちの罪のゆるしを実現したのです。(エペソ1:7-8)
信者の救いにおいて:(使徒18:27)
信者の聖化において:救いの恵みは、私たちの生活における良い変化も含んでいます。救われたクリスチャンは、罪のちからに対する勝利と新しいいのち(良いもの)を生み出す生活へと整えられていくのです。(テトス2:12-13)
信者の保持において:クリスチャンも様々な困難に直面します。しかし、耐えるため、乗り越えるための神様の恵みはいつも十分備えられています。(IIコリント12:9) 私たちが、弱いと思われる人であればあるほど、神様の恵みはより明確に輝きを放つのです。
信者の奉仕において:(ヘブル12:28)
主との会見(栄化の瞬間)において:やがて私たちがイエス様とお会いする時、私たちは栄光のからだへと変えられ、約束されている永遠のいのちを現実に経験し始めることとなります。それはイエス様によって私たちの人生に開始された神様の恵みのお取り扱いの頂点と言えるでしょう。(Iペテロ1:13)

まとめ: クリスチャンは神の恵みによって救われ、恵みによって生かされている
神様の恵みは私たちの想像をはるかに超えて大きく豊かであり永遠です。(詩篇103:11; 108:4; 136:1-126; 138:8; Iペテロ5:10) 使徒パウロは(新約聖書の一部となっている)手紙を書く際には常に冒頭で、平安とともに恵みが神様からあるようにと祈っています。それは、神の恵みが救いにおいてだけでなく、信仰の歩みにおいても必須であるからです。
恵みの意味を理解する人は神様の前にひれ伏します。そして誇ることができるのはイエス様、そしてイエス様がしてくださったことのみであることを認識しています。私たちは神様の恵みゆえに、神様のために日々歩ませていただくのです。(詩篇94:18; 103:17; 119:159)
私たちは神様のご存在、神様の恵みなしに信仰者としてまともにいきることはできません。恵みによって救われた私たちは、日々神様の恵みの御座に近づく歩みをしようではありませんか。

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