私は聖書の神を信じる:愛なる神

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人は食べ物があれば生きられる、というわけではありません。心を持つ人間は心を満たし潤す糧も必要としているからです。クリスチャンは聖書からその糧を見いだしています。クリスチャンは神様からのメッセージ(聖書のことば)がなければ、人としてまともに生きることができないことを知っています。神様からのメッセージには愛が込められています。それは私たちの想像をはるかに超えた祝福です。今回は神様のご性質である愛を学ぶとともに、愛についての私達への適用を学びたいと思います。

I. 神は愛であられる
使徒ヨハネは書簡の中で神様が愛であられること、また神様の愛がどのようなものであるかを記しています。(Iヨハネ4:7-8, 16) 愛、そして愛することは神様のご性質そのものです。驚くべきことは、神様はイエス様を信じて救われた者にこのご性質を与えておられることです。(IIペテロ1:4)これは、クリスチャンが“小さな神”になるということではなく、新しい創造物とされるということです。(IIコリント5:17) 神様のご性質の中でも“際立っている”愛が、クリスチャンによって映し出されるのです。神の愛を示し、実践する者となるということです。
Iヨハネでは「神の愛」という表現が繰り返されています。神様の愛は、
①神様に従う原動力です。(2:5)
②神様の愛を人に示す動機付けです。(3:17)
③最高の模範によって示されました。(4:9)
④神様の存在を人に示す手段です。(4:12)
⑤知ることができ信じることができるものです。(4:16)

II. 神の愛はクリスチャンによってあらわされる
使徒ヨハネは同じ書簡(4:7-21)の中で、クリスチャンが愛する5つの理由を挙げています。
理由① 神様は愛の本質(実態・実在)であられるからです。(4:7-8)神様は霊であられ(ヨハネ4:24)、光であられ(ヨハネ1:5)、焼き尽くす火(ヘブル12:29)であられるように、愛であられます。愛は、神様のご性質とみわざのすべてにおいて固有のものです。それゆえ、神様のさばきや怒りでさえ、神様の愛と調和するのです。そのご性質ゆえに、クリスチャンは愛することをチャレンジされているのです。
理由② 神様の最高の犠牲的愛に倣うためです。(4:9) 神様は私たちの救いのために御子イエス様を遣わすことにおいて模範をお示しになりました。十字架上における罪に対するさばきは、神様の最高の愛の模範です。なぜなら、神様の怒りは罪のある人間ではなく、愛するひとり子(イエス様)にくだされたからです。その愛をお手本とすることはクリスチャンが生涯をかけて実践することです。
理由③ 愛はクリスチャンの証しの中心(本質)であるからです。(4:12) イエス様は今地上にはおられませんから、その意味において、人々は神様の愛を見ることはできません。誰が、そして何が神様の愛を示すのかといえば、それは教会であり、教会を形成しているクリスチャン一人一人なのです。クリスチャンが互いに愛しあうならば、(愛の源であられる)神様の存在を知ることができるのです。(ヨハネ13:35) 7節から12節は、愛は神様から起こり(始まり)、御子イエス様において示され、クリスチャンによって証明される、ということができるでしょう。
理由④ 愛はクリスチャンの確信(確証)であるからです。(4:13-16) 神様の愛のもとにとどまっている者だけが、神様の愛を示すことができるのです。
理由⑤ 愛はクリスチャンの、さばきにおける確信であるからです。(4:17-20) 神様が用意してくださった救いのみわざ(イエス様の身代わりの死と復活)を信じた者は救われた者であり、さばかれる(罪の結果の刑罰を受ける)ことはありません。神様の示された愛を受け取った者は天の国に入れていただける確信をもって神様の御前に立つ時を待つことができるのです。この確信が成熟した愛の実践へとクリスチャンを導くのです。

まとめ: 神の愛は私たちに適用され、私たちをとおしてあらわされる
まことの神様を知った私たちクリスチャンは、まことの愛を知っている者たちです。それは一つの情報として認知したということではなく、体験したのであり、また今体験しているということです。神様が愛であること、また神様が愛しておられることの意味は、私たちを神様が無条件に包み込んでくださっているということなのです。神様の愛の中で経験することは、他では決して味わうことのできない、喜び、安心、希望を持つことであり、(霊的に)生きるちからがみなぎるということです。真の生きがいを経験するということです。私たちには世の中の人がもっていないものを与えられているのです。それは「何があっても見捨てないよ」という神様の愛のまなざしです。神様の愛をもっと知りましょう。神様の愛の現実を覚えて感謝して歩みましょう。

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