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(当然のことですが)クリスチャンには、クリスチャンではなかった時がありました。クリスチャンではない時の状態については様々な説明方法があります。エペソ人への手紙の2章の冒頭では、罪の中に死んでいた人、悪魔に従って歩いていた人、自分勝手に生きていた人、神の怒りの対象者と説明されています。そしてこのような状態にあったことをその時は知らなかったのです。しかし4節で、非常にありがたいメッセージがあります。「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださった」と。あらゆる意味において徹底的なまでに、神様との接点を持つことが不可能な者たちが、神様の愛の対象となったのです。この偉大な救いのみわざを念頭に、神様が与えてくださった義認の宣言について考えます。
*義認の宣言は私たちのため(23~24節前半)
(旧約)聖書は私たちのために書かれたものであり(ローマ15:4; Iコリント9:9~10)、聖書全体は世界的に適用されるべきものです。それゆえアブラハムの義認に関する経験もその一部ということになります。(創世記15:6)アブラハムは義と認められましたが、私たちもアブラハムの場合と同じ根拠で義と認められたのです。どちらも、自分たちのためにお働きくださる神様を信じ、どちらも義認を受け取ったのです。義認はまったく神様の恵みによるのです。
*義認の宣言は神のみわざゆえ(24節後半)
父なる神様は、御子イエス様を死からよみがえらせてくださいました。(使徒2:24)父なる神様は、イエス様の、“死んだからだ”を生かしたのです。(ローマ8:11; 10:9; Iコリント6:14; 15:15; IIコリント4:14)これにより二つのことを宣言なさいました。①イエス様がご自分の御子であられること、そして ②イエス様がアブラハムの子孫であられることです。クリスチャンはこのお方を信じています。クリスチャンは、父なる神様が御子イエス様をよみがえらせてくださったと信じて救われた者たちであり(ローマ10:9)、御子イエス様をよみがえらせた神様を信じる者たちです。(Iペテロ1:21)
*義認の宣言はイエス様のみわざゆえ(25節)
死と復活は救い主の領域です。イエス様の死は、私たちの罪のためのものであり、イエス様の復活は、私たちの義認のためのものです。私たちは神様に背を向けていた者たちです。(イザヤ53:5~6)その罪のため、そしてそれを取り除くためにイエス様は死なれました。(ローマ5:6,8; 8:32)
そしてイエス様は死からよみがえられました。イエス様が復活されたことにより、証明されたことがあります。①父なる神様は、御子イエス様の犠牲を受け入れられた(満足された)ということ、そして②神様はご自分の義を保持しつつ、不敬虔な者を義と認めることが出来るということです。私たちが赦され救われるために、イエス様は死なれるだけでなく、よみがえられる必要があったのです。イエス様の復活がなければ、私たちの信仰は無意味です。(Iコリント15章)しかし、復活は事実です。そしてこの事実は、必要なみわざが成し遂げられ、代価が支払われ、父なる神様が満足されたことを宣言しているのです。
イエス様を信じて義と認められた人は、霊的に生かされています。(ローマ5:18)それは、死んで復活されたイエス様のために生かされているということです。
(IIコリント5:15)
まとめ:神様の義認の宣言は不変
神様の約束は永遠であり、変わることはありません。その約束は絶対です。私たちは当てにならないものであり、不確かなことが多い世界に生きている者たちではありますが、神様から確かなものが与えられていることを覚えたいと思います。神様が私たちを義と認めてくださっていることは確かなことです。救いは確かなのです。それゆえ私たちは確信を持って日々生きることができるのです。確かな救いに目を向け、喜び、その恵みに浸りつつ、この世の様々な事柄に対応していく者とならせていただきましょう。



