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回心とは、心の根本的な変化,転回によって信仰にはいること,またそれに伴う態度や行動の変化を言います。回心転意とは、過去を悔いて心を入れ替えることを言います。これらから、回心は、神に立ち返る行為であり、悔い改めと信仰とから成り立っていると説明できます。今回は神様に立ち返ることについて考えてみましょう。
I. 立ち返ることの呼びかけ
神様は預言者たちによって、ご自分のもとに立ち返るように呼びかけられました。(イザヤ31:6; エゼキエル14:6; 18:32; 33:11; ヨエル2:12)
また、バプテスマのヨハネによっても呼びかけられました。(ルカ1:16)
イエス様も、天の御国に入るために(救われるために)は、神様に立ち返らなければならないことを教えておられます。(マタイ18:3)救いをいただこうとする人は、幼い子供のようになる必要を説かれました。信じるとは、単純に信頼することです。自分は無力な者で何も拠り所がないことを認めた上で信頼することです。自分は罪深い者であり、何の価値もない者であることを認めイエス様を唯一の希望として受け入れることです。
神様は、ペテロやパウロ(使徒)たちによってもご自分のもとへ立ち返ることを呼びかけられました。(使徒3:19; 14:15; 26:18,20)
II. 立ち返ることの実践
立ち返ることの呼びかけに応答する人は、それを実行に移します。(エレミヤ31:18; 哀歌5:21)ペテロをとおして、中風のアイネアが癒された時、その地域の人々は神様に立ち返りました。(使徒9:35)神様に立ち返ることは、イエス様を信じることと同時に起こることです。(使徒11:21)
III. 立ち返ることの結果
神様のもとに立ち返る人の罪は赦されます。それは死後の永遠の刑罰が免除されることを意味します。(使徒3:19)罪のないお方、イエス様の十字架の犠牲によって、信じる人には赦しが可能となるのです。
また、神様のもとに立ち返る人には、天の国の約束(永遠の祝福)が与えられます。(マタイ18:3)神様の前における罪を悔い改めて、イエス様を自分の救い主と信じる人は、罪が赦されると同時に、死後永遠に(完全な状態で)神様と天において暮らすことができる約束が与えられるのです。
罪の赦しと永遠のいのちをいただいたクリスチャンは、生涯を神様のために生き、用いるように変えられるのです。(Iテサロニケ1:9)
まとめ:神様のもとに立ち返るすべての人に救いが与えられる
立ち返るとは、居るべきところに戻ることを意味します。子供は(居るべき間は)親のもとに居ることが一番幸せなのです。ルカの福音書15章に登場する「放浪息子」は、父親に財産を分けてもらい、早々に家を出て遠い国へ向かいました。親の目の届かないところで「自由」を満喫したのです。しかし手にした財産を使い果たし、生活は困窮を極めました。そんな中彼は我に返り、罪を悔い、父親のもとへ帰ることを決意するのです。親から離れることが幸せだと思っていた彼ですが、実は父親のもとにいることが幸せなのだと気付いたのでした。人間が居るべきところは神様のところです。神様のもとに居ることが一番幸せなのです。しかし人は神様のもとを離れ、自ら不幸になりました。もし人が自分勝手に生きて来たことを悔い、向きを変えて神様のもとに帰るならば、いつくしみ深い神様はその人を必ずあたたかく迎えてくださり、いつまでも続く真の幸いを与えてくださいます。