聖書の神は救いを用意された⑤:イエス様の死の意義②

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イエス様の十字架における死は、私たちのための身代わりであるとともに、神様を満足させるものでした。その中には、神の義を満足させること、神の律法を満たすことが含まれ、さらには神をなだめることが含まれます。今回は宥めについて取り上げます。神様との関係において考える時に、“なだめる”とは、イエス様が人の救いのために身代わりに苦しむこと(犠牲となること)によって、人の罪を処理し、神の、罪に対する怒りを消滅させることを意味します。これにより、人は罰が免除される、つまりゆるされるのです。

I. 旧約聖書における宥めの例
ヤコブの宥め(創世記32:1~20):イサクの息子であったヤコブは兄エサウに授けられるはずの(父イサクからの)祝福を横取りしたためエサウの怒りを買い、実家を出ていかなければならなくなりました。そのヤコブが20年後にエサウに再会することになります。
ヤコブはマハナイムというところからエサウに使いを送りましたが、エサウが400人を連れてくると知り恐れました。そこで彼は自分の宿営を二つに分け、神様に祈りました。さらに彼は兄エサウへの贈り物を選んだのです。山羊や羊など大量の動物を贈ることで、兄の心をなだめようと考えたのです。(20節)
モーセの宥め(出32章):エジプトから民を導き出したモーセは、荒野の旅の途中(シナイ山)で神様から律法(の書かれた石の板)を授かりました。しかしその真っ最中に民たちは偶像礼拝に走ってしまいました。民を滅ぼそうとされる神様に対してモーセは嘆願し、民のために執り成しをしました。(7~13節)この時神様はわざわいを思い直されましたが、民の現状を見たモーセは怒りに燃え、アロンを責め、レビ族の者たちによって3000人の処罰を指示しました。(14~29節)翌日モーセは民の犯した罪のために宥めをすべく神様のもとに行き懇願します。(30~34節)

II. 宥めの前提:神の怒り
旧約聖書で神様の怒りについて言われている箇所は585あると言われています。(哀歌3:43)神様は愛の神様であられる一方で、罪に対して怒っておられることは、新約聖書のいくつかの箇所からも明らかです。
(ヨハネ3:36; ローマ1:18; 2:5; 3:5; 5:9; エペソ2:3; 5:6; Iテサロニケ1:10; 黙示録19:15)

III. 宥めの備え
罪に対して怒っておられる神様をなだめる備えは、神様の主導によってなされたものです。それは罪のある人間が赦され救われるためにどうしても必要なことでした。そのために、神の御子であられるイエス・キリスト様が宥めの供え物となられ、十字架における死を遂げられました。それは、神様が罪のある人間を愛しておられるからです。人が罪ゆえに滅ぼされてしまうことを決してお望みなられないからです。
(ローマ3:25; ヘブル2:17; Iヨハネ2:2; 4:10)

まとめ:イエス様は私たちの救いのために完全な宥めの供え物となられた
頑固で文句の多い民たちを導いたモーセは、神様との間に立つ優れた宥め役であったと言えます。(詩篇106:23)しかしイエス様が備えて下さった宥めは、それとは比べることもできないものです。旧約の時代に大祭司によって行われていた宥め(贖い)は不完全なものです。それゆえ毎年行われなければなりませんでした。イエス様は、ただ一度だけご自身が宥めの供え物となることで、聖であられ義であられる神様の怒りを鎮められ満足されたのです。罪のある人間に押し寄せる神の怒りを、イエス様は十字架にかかることによって食い止めてくださいました。私たちの救いのために神様ご自身が宥めの供え物を用意されたことは本当に驚くべきことです。イエス様を信じた人は、もはや神様からの怒りを受けることがないのですから何という恵みでしょうか。(Iテサロニケ1:10)

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