イエス様が十字架で死なれ、葬られ、復活され、天にお昇りになった後、聖霊なる神様がお降りになりました。その時から始まった教会は成長し、イエス様による救いのメッセージは広まっていきましたが、同時に反対する人達も登場してきました。今回は教会の歴史における最初の迫害の記事から迫害とはどのようなものであるか考えてみます。(使徒の働き4:1-12)
① 迫害は忠実であろうとするクリスチャンに起こります:迫害の必然性 (1-3節)
→ペテロとヨハネを迫害したのは、当時の宗教指導者達でした。生まれつき足が不自由な人が癒されたことをきっかけとして、ペテロ達は彼らにとって目障りな存在となっていったのです。ペテロ達は、神様のことばを教えること、伝えることをしていただけです。しかし特に当時のサドカイ人と呼ばれる人達にとっては都合の悪い内容でした。自分達こそが、宗教的なことを教える立場にあると考える彼らはプライドが傷つけられ、自分達が信じていない死者の復活を教えることに少なからず不快感を覚え、しかも自分達が「神様を冒瀆する者である」として処刑したイエス様の復活を語ることに神経を逆なでされたのでしょう。今の時代も、聖書のことばに真っ直ぐであろうとすると、反対されます。あなたの、聖書の神様に従っていこうとする生き方が、あなたの接する人達になんらかの形で影響を与える時に、家庭でも、職場でも、学校でも、摩擦が起こり、あなたに対する風当たりが強くなるのです。
「迫害が起こる所に忠実な者あり!」
② 迫害はクリスチャンを生み出します:迫害の生産性 (4節)
→ペテロ達は宗教指導者達の反対を受け逮捕されました。しかし、ペテロ達が伝えた聖書のことばを信じた人の数も同時に増えていったのです。イエス様を信ずるクリスチャンへの迫害が起こると、信ずる人が減るのではなく、反って増える傾向にあることは今の時代も同じです。迫害が起こる時に、人が心から信じているかどうかが問われます。本当のクリスチャンかどうかが問われます。一般の人々は、反対に遭い、時には死に直面する中でも信仰を曲げない本物のクリスチャンの姿を見て、聖書の教えが本当なんだということを知るのではないでしょうか。それによってさらに信ずる人が増えるのではないでしょうか。
「迫害が起こる所に信者の群れあり!」
③ 迫害はクリスチャンに証しの機会を与えます:迫害の有効性 (5-12節)
→議会の真ん中に立たせられたペテロ達は、どのような資格があって「宗教活動」をしていたのかと尋問されました。ペテロは聖霊なる神様にちからをいただき、堂々とイエス様を証ししました。足が不自由であった人が癒され、救われたのはナザレのイエス様のお名前によってであること。イエス様はあなたがた(宗教指導者達)が十字架につけた方であること。この方は神様が死後復活させてくださった方であること。この方はあなたがたが拒絶した「石」であられること。このお方が唯一の救いの方法であられること。ペテロはユダヤの最高議会で自分の信仰を表現し、イエス様を伝える機会を得ました。今の時代においても、クリスチャンの信仰が理由で摩擦が生じる時、その時にこそ、イエス様を信ずる信仰を土台とした生き方を人々に表現し、救い主イエス様を伝えることができるのではないでしょうか。
「迫害が起こる所に証しのチャンスあり!」
結論:迫害が起こる所に聖霊なる神様のお働きあり
→イエス様を信じていることによって、人々から反対されることは嬉しいことではありませんが、神様がその状況の中でどのようなことをされるのかを期待することを忘れないでいましょう。そのような難しい時にこそ、共におられるイエス様を覚え、イエス様の教え(聖書のみことば)に忠実であり続け、聖霊なる神様のお働きに委ねていこうではありませんか。