私たちの神様は愛の神様であられますが、神様はどのようにご自身の愛を私たちに示してくださるのでしょうか。Iヨハネ4:9-10を読むと、まず神様は最大の犠牲を払うことによって愛を示してくださっていることがわかります。神様はご自分のひとり子 イエス様をこの世界に送り、私たち罪人に新しいいのちを提供してくださいました。本来私たちが受けなければならない神様からの怒り・罰・さばきをイエス様が「なだめの供え物」になることで一手に引き受けてくださったのです。「放蕩息子」のたとえ話の中で神様を象徴している父親は、落ちぶれて帰ってきた息子を家に迎え入れました。(ルカ15:11-32) 神様は一度はご自分に背を向けて自分勝手に生きていた者が、自分を省み悔い改めて帰ってくる時に喜び楽しんでくださいます。このことも神様の愛の表現です。神様は私たちの罪をゆるすことによっても愛を示してくださいます。(イザヤ38:17) もう罪に定められないことはなんと感謝なことでしょう。神様は私たちに対する豊かな憐れみ・情け・恵みによっても愛を示してくださいます。(エペソ2:4-8) すでに救いをいただいたクリスチャンは「神の子ども呼ばれる」ことによっても神様の愛をいただいています。(Iヨハネ3:1) それは神様からの究極の平安をいただいていることを意味します。神様は私たちをそば近くに置いて保護していてくださり(申命33:3,12)、必要に応じて愛の懲らしめをし(へブル12:6-7,9-13)、私たちの悩み・悲しみを共有してくださり(イザヤ63:9)、私たちを御手に刻んで覚えていてくださいます。(イザヤ49:15-16) このようにあらゆるかたちで愛を示してくださっている神様との関係から私たちは決して切り離されることがありません。この現実に基づく平安と喜びをさらに経験し、感謝と賛美の歩みをさせていただきましょう。
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