神様が私たちに求めておられることの中には、私たちが神様の御顔を求めることが含まれています。(詩篇27:8)神様は私たちに幸いを与えるために、このことを求めておられるのです。神様は私たちを祝福したいお方なのです。罪のために堕落してしまった人間は神様を求めない傾向にあります。罪の問題が解決されなければ、この流れに変化はありませんし、神様に近づくことがそもそもできません。神様からの救いの方法を受け入れ変えられた者は(そして正常なクリスチャンは)神様の御顔を求めるのです。クリスチャンであっても、完全に聖いわけではありません。ですから神様のみことばを受け入れ、その結果としてきよめられていく必要があります。みことばにより霊性が改善されていく必要があるのです。みことばとともに、聖霊の内側からの働きかけによりきよめが前進し、神様の御顔を求める者として整えられていきます。
神様の「御顔を慕い求める」人は、神様が喜ばれることを求め、神様を愛する人です。(詩篇24:6)そのような人の歩みは高められていきます。「主の山」であるエルサレムに登り、聖所に立つに相応しい者は、言動も心もきよく、天的価値観を持ち、真実を愛する者です。(詩篇24:3-4)
「主」は常に存在されるお方です。(詩篇105:3-4)この方の御顔を常に求め、喜び、信仰面において素直で、謙遜で、神様を慕って歩む、ことのことを神様は求めておられます。