「神は愛」であると聖書は述べています。(Iヨハネ4:8,16) 愛は他者に良いことを望み、良い物を提供します。神様のご性質にはこの愛が満ちています。神様が人を創造された目的の一つは人との間で愛の関係を実現することであったと言えます。愛の源であられる神様は、人にその愛を授けてくださいました。(同7節) 人が愛することができるとするならば、それは神様がその出所であるのです。
父なる神様の愛の対象は御子イエス・キリスト様です。(マタイ3:17; 17:5) 父なる神様は御子イエス様の行動・発言を喜ばれます。ぶどう園のたとえ話の中では、ぶどう園の主人を指す父なる神様が、息子を指すイエス様を「愛する息子」として表現しておられます。(ルカ20:13) イエス様は父なる神様が「世の始まる前から愛しておられた」ことをお祈りの中で表現されています。(ヨハネ17:24) このようにイエス様に対する父なる神様の愛は永続的であることがわかります。
神様の愛の対象はすべてのクリスチャンも含まれています。神様はすべての人を愛しておられますが、(神様の愛を知ってそれを受け取り)イエス様を信じて救われた人を特に愛しておられると言うことができます。(ヨハネ16:27) 神様の特別の愛を受けているクリスチャンは神様のみことばに従う人です。(そしてそうあるべきです。)(同14:21,23) クリスチャンは死からいのちへ、闇から光へ、悪魔の支配から御子の国へと移され、一つとされました。(同17:23) それは神の愛があらわされるためであり、クリスチャンが神様の素晴らしい愛の対象であることを世の中の人々が知るためなのです。このことからクリスチャンの日常の言動が、いかに重みがあるものかを教えられます。
すでに述べたように神様の愛が示されたことによって、人の世界においても愛の関係の可能性が生まれました。(Iヨハネ4:19) 人は神様に愛され、いのちを与えられたことによって初めて愛することが出来るようになったのです。神様は、人が罪人として滅びることを望まれず、今なお救いの手を差し伸べておられます。同時に人が救いを受け取る(信ずる)という責任を明確にしておられます。(IIペテロ3:9; ヨハネ3:16; Iテモテ2:4) 神様の愛は具体的な行動によって、また豊かなあわれみというかたちであらわされました。その結果、罪の中に死んだ状態であった者が新しい者として生きるように変えられたのです。(ロマ5:6-8; エペソ2:4-5) この愛の神様に感謝をささげないではいられません。