「滅びの穴」、「泥沼」状態にいた私たちは、イエス様と出会い磐石なイエス様を土台とし、歩みを確かなものとしていただきました。私たちには「新しい歌」が与えられ、新たな歩みが与えられています。(詩篇40:1~3)
誰一人神様の前に特別な人はいません。神様の前に正しい人はいないのです。創造主、そして神の御子であられるイエス様はみことばにより、すべてを造りすべてを保っておられます。このお方を前にして、人は無き者同然です。しかしそれを知ることがその人の幸いへとつながります。
新しい歌を歌うことができるようになった者は神様に礼拝をささげます。献身の歌をささげるのです。(詩篇40:4~11)神様は奇しいわざをなされるお方です。私たちの救いはそのわざの一つです。神様は恵みとまことに富んだ方でもあられます。神様の(みことばに示されるところの)「御計り」、ご計画は私たちに確信を与えます。「巻き物の書」に記されている神様の計画を知ることによって神様の御思い(ビジョン)を知ることができ、そのことの故に神様に礼拝をささげること、また礼拝の生活が可能となります。
詩篇40:6~8に記されていることは、ヘブル書10章に書かれていることです。ヘブル書10:4~10、19~20で、まことのあがない主を見るようにと教えられ、私たちの前には「新しい生ける道」が備えられたことが教えられています。イエス様の献身・従順の故に私たちも自らをお献げし、従うことが出来るのです。
詩篇40:9~11で(筆者と思われるダビデは)神様の憐れみの中での証しの特権を表現しています。イエス様にある確信は豊かな神様の恵みによります。私たちは救われました。神様は完全にゆるしてくださいました。今私たちは神様のはかり知ることができない計画の中にあります。私たちは神様に見捨てられることはないのです。このことを私たちも声高らかに告げることができるのです。
詩篇40:12~17では確信の歌が歌われています。ここに信仰者の姿を見ます。これは真実な告白です。私たちは救われていてももがく者です。心が絶望状態に陥ることさえあります。外には敵も存在します。しかしそのような中で「みこころによって」とあるように、私たちは神様の主権を認めつつ神様にすがるのです。真の信仰者は自身を支えるものが何もない、貧しい者であることを認め神様に助けを求めるのです。それが天国人の生き方です。私たちは厳しい状況にあっても、自身の祈りと共に、兄弟姉妹の中で共に高めあう祈りが必要です。神様をあがめる、神中心の歩みが必要です。神様が先に行ってくださるならば失敗はありません。私たちが大いなる方を見ているならば、人々に対して証しとなり兄弟姉妹に対して励ましとなるのです。
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