教会創立25周年を迎え、次に、明日に向かって何を主に期待していくのでしょうか。
聖書の使徒の働きは教会のスタート、そして教会の前進を記録するものです。教会は「聖霊に励まされて」成長していきました。それは人間の働きではなく神の働きです。
今回、使徒の働き4:12~31を学びたいと思いますが、これは初代教会の時代、“語ってはならない”時世でした。しかし、そこに教会の誕生における聖霊の働きを見ます。「大胆」に振る舞い、語るということばが登場します。(13、29、31節)これは教会に必要なものです。外からの反対の中で、(絞り出すというのではなく)内側から湧き上ってくるものです。
この使徒達(そして初代教会における信者)の大胆さは先ず、①復活されたキリスト様(の事実)から来たのです。信仰とは何でしょうか。それは主の十字架と復活という事実に基づくものです。“後の”ペテロは人を恐れませんでした。復活されたキリスト様に出会ったからです。ここに事実の上に成り立つ人生の変化を見ます。キリスト様に出会った者としてそれは必然です。(20節)あなたは主と会っておられるでしょうか。会話しているでしょうか。心の目で主を見ているでしょうか。主との一対一の出会い、それが感謝の祈りとなり、確信となります。
次に使徒達の大胆さは、②神様をおそれる信仰から来たのです。(19節)語ることを禁止される中で、人よりも神をおそれ敬う信仰です。そこには神様に対するへりくだりがあります。神様を、人をさばく権威のあるお方として、また人の魂を支配されるお方として見ます。
最後に使徒達の大胆さは、③教会の一致した祈りの中にありました。(24節)教会は聖霊の宮です。贖われた者の集まりです。そこには聖霊の臨在があります。それを覚えて主に祈ります。その信仰は一つです。そしてそこに聖霊なる神様が働くのです。教会の求めは迫害の消滅ではなく、迫害の中にあって大胆に語ることでした。(29節)
神様にとって一人一人の魂は尊いのです。そして神様はそこに先に救われた者をお導きになります。使徒達、そして初代教会の信者は、試練を超える神のちからを求めました。それを聖霊なる神様は与えることがおできになります。それはあなたが、そして教会が聖霊なる神様に委ねることによってです。