選挙において“○○党公認”になることは、その党が後ろ盾になること等によるメリットを考えるのであれば重要なこととなるでしょう。選挙に限らず、“認められること”は社会における自分の存在を、より有利な方向に押し上げるためには必要なことと多くの人は考えるでしょう。認めてくれる存在が大きな影響力をもっていればなおさらです。
今回の箇所で使徒パウロは、他の(先輩である)使徒たちが自分を肯定的に受け入れてくれたこと、認めてくれたことについて述べています。それは彼にとって喜ばしいことであったに違いありませんが、彼にとって大事なことは人間的な承認ではなく、神様が彼をお認めになっているという事実でした。今回は、他の使徒たちの承認に先立って、神様がパウロを使徒/働き人としてお認めになったことについて学びます。(ガラテヤ2:6~10)
I. パウロに与えられた立場(6節) →(当時のキリスト教界の有力者である)ヤコブ・ペテロ・ヨハネはパウロの立場について不足を認めることはありませんでした。彼が神様から与えられた資格、そして権威は充分なものであったということ、そしてヤコブたちはそれを認めたということです。パウロに不足はなかったという中には、彼が語る内容や信仰の実践等が含まれるのかもしれませんが、いずれにしても、パウロは神様から受けた黙示(啓示)故に(先輩たちから)追加で教わることはなかったということです。パウロには、イエス様の地上でのご生涯を間近で知っているヤコブたちと同じ経験はありませんが、そのことはパウロにとって、また神様にとって(特に彼の使徒職ということを考えた時に)重要なことではなかったのです。
II. パウロに与えられた務め(7-8節) →さらにパウロは異邦人への伝道者として認められました。ペテロがユダヤ人たちへの福音、そして福音の働きを神様から委ねられているように、パウロも異邦人たちへの福音、そしてその働きを神様から委ねられているということです。神様がペテロにちからを与えて使徒とされたように、パウロにも神様がちからを与えられ使徒としての務めを与えられたということです。ユダヤ人にも異邦人にも語られる福音は同じです。そしてその務めを委ね、その務めのためにちからを与えられるお方は唯一です。
III. パウロに与えられた恵み(9節) →ヤコブたちは、パウロに注がれた神様の恵みも認知しました。それ故、働きの種類は違う者たちでありながらも、主イエス様にある交わりを可能としたのです。神様の恵みによって救われた信仰者たちによる福音宣教、そして教会建設は、やはり神様の恵みによって進められていくのです。
IV. パウロに与えられた愛顧(10節)→ヤコブたちがパウロに求めたことがあるとするならば、それは貧しい人々への助けでしたが、パウロはすでにそのことに携わっていたことを述べています。神様の愛と恵みを経験した者、また経験している者として、パウロは神様の素晴らしさを自身の歩みにおいて反映させていたのです。そこには行いの伴う信仰者の姿があります。
まとめ:人が認める器は、神様が認めた器でなければならない →教会においてある人が、霊的なリーダー的立場に就くのであれば、その人が神様によって立てられていることの共通認識があることが理想です。その人は主の奉仕者として(人のではなく)神様に評価されることを求めるべきです。同時に主に立てられた奉仕者として相応しい器となるべきです。また他の信者は、主に立てられた器(リーダー)を認める必要があります。主を認めるが故にその器の下に身を置き、その器のために祈り、その器を支えるのです。神様が立てた/認めた人を他の人々が認めるのであってその逆ではありません。