11月8日 教会NEWS

☆今日の出来事☆
秋雨の主日となりました。今日も神様の恵みを覚え兄弟姉妹とともに、礼拝をささげることができたことを感謝します。

永田牧師夫妻は金曜日から埼玉県を訪問しており、今朝は県内の教会において礼拝メッセージの御用をされています。奉仕と交わりとが祝されたものとなりますように。牧師夫妻は予定を変更して急遽今夜帰途につかれます。護られますように。

先週月曜日に、秋の特別集会にも講師として来ていただいたK先生が突然天に召されました。葬式は木曜日の午後に執り行われたそうです。奥様やご家族、教会の関係者の皆様の上に神様からの豊かな慰めと励ましとがありますようお祈りします。神様は過去四年にわたって毎年、先生ご夫妻を私たちの教会に遣わしてくださり、みことばの奉仕と親しい交わりをいただく恵みに与らせてくださいました。つい先日は、私達に手書きの聖句板をお送りくださいました。神様のお取り扱いを私たちは計り知ることができませんが、わざをなし終えた先生を、天の御国に凱旋させてくださった神様の御名をほめたたえたいと思います。

また先週金曜日の午後には、O姉妹が天に召されました。長きにわたり信仰の歩みを続けてこられた姉妹が、今は痛みも苦しみもない幸いな場所へと移されたことを感謝致します。遺されたご主人O兄弟は精神的にも弱い状況にいらっしゃいますので、続いてお祈りに覚えたいと思います。またO兄弟姉妹の息子さん家族の上にも神様の憐れみと恵みとが注がれ、O姉妹の死を通して、まことの神様の存在、また死後の永遠の問題について個人的に考える機会となりますようお祈りします。O姉妹の葬式は明日(9日)の午後執り行われる予定です。イエス様のお名前があがめられる式となりますように。(牧師不在の中での遺体搬送・納棺となりましたが、兄弟姉妹の協力により守られ進められたことを神様に感謝致します。)

今日の午後予定されていた高校生の集いはお休みとなりました。また神様が開催の時を与えてくださり、今日出席予定だった高校生も来ることができますように。

昨日は高田地区において2回めのサタデー・バイブル・キッズが開催されました。外からの参加は残念ながらありませんでしたが、“あのそらはどうして”や“うみとそらつくられたしゅ”などの賛美をし、バイブルサイエンスでは、神様が(他の動物とは違って)色(カラー)でモノを見ることができるように造られたことを学びました。また秋の葉っぱでラミネートしたランチョンマットを作りました。英語の時間では前回に続いて“I have the JOY”の歌を歌い、神様が与えてくださる喜びは心の奥底から湧き上がるものであることを覚えました。最後にバイブルタイムで神様が光を創造されたことを学びました。次回は来年3月を予定しています。外からの参加が与えられますように。

☆証し☆
今日はR姉妹が証しをされました。
「私はあるCDを時々聴いております。それは、ほとんど全曲が聖書のみことばにメロディーを付けて、自分でピアノを弾きながら唄うクリスチャン女性アーティストの賛美歌です。
しかし一曲だけは違います。いきなり「雨にも負けず、風にも負けず・・・」と唄いだしビックリします。有名な宮沢賢治の詩です。なぜ賛美歌の中に取り入れたのか不思議に思い、調べました。賢治自身はクリスチャンではありませんが、この作品には実在したモデルがいました。その人の名は「斉藤宗次郎」牧師です。ここからは入手した記事を読ませていただきます

斉藤宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として生まれました。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。
当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。  それだけではありません。迫害の手は、家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。
そして、さらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。
宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎は、むしろ、その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。  牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々にキリストを宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しはあまりにも有名です。
彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、働き続けました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。  花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いの人にいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。実はその群衆の中に若き日の宮沢賢治もいたのです。 (出典 雨にも負けずと実際のモデル)

私は、この記事を読んで「こんな方が実際にいたんだ」と大変衝撃を受け、圧倒されました。時代背景や立場、いろんなことが違う中にあって、共通していることは、主イエス・キリスト様を受け入れた者であることです。『あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい』(コロサイ人への手紙2:6)とあります。 でも口で言うほど、心に思うほど簡単ではありません。肉体的には、むしろ困難・苦しみを抱え込んだ、そんな人生を選択していくことかも知れません。
主が私たちの内なる人を強くしてくだって、結果的に主がお喜びになられることを願うのみです。
最後になりますが、賢治の目に映った一人のキリスト者の姿を思い描きつつ、この作品を一通り読んで終わりたいと思います。 

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 
丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい」 

☆本日のランチ☆

 

 

 

 

 

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