11月11日 杯を飲まれた主②

今週はマルコ14:53-65から「杯を受け入れられた主 その②」と題して、3つの訴えという観点から学びました。

 ①偽りの訴え→ユダに裏切られ、群衆に捕まえられ、弟子たちに棄てられたイエス様は大祭司(カヤパ)の所へ連れて行かれました。ここからユダヤ人による裁判が始まりましたが、それは到底裁判とは言えないようなものでした。祭司長やユダヤ人の最高議会のメンバー達はイエス様を有罪にし、死刑にすることを前提にして、そのための理由・証拠を探していたからです。数々の証言がされましたが、それらはウソで一致せず、イエス様を訴えることができるような証拠は何も見つかりませんでした。偽りを通そうとする人々の生き方はどこかで無理が生じます。イエス様はそのような人々の仕打ちを耐えてくださったのです。

 ②真実の訴え→イエス様を訴える材料が見つからない中で、大祭司がイエス様に反応を求めました。イエス様は一言もお答えにはなりませんでした。ウソで作りあげられた訴えに対してお答えになる必要はないとお考えになったのでしょう。大祭司は別の質問をしました。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」と。神であられること(神性)、そしてキリストであられること(約束された救い主)についての問いかけには「わたしは、それです」とお答えになり、ご自分のお立場を明確に宣言されました。そしてやがてイエス様が世界をさばくお方として来られる時、ご自分をさばいている人々と立場が逆転することを警告されました。これらのイエス様の発言を大祭司は神様をけがすものであると認識し、議会のメンバー達もイエス様が死刑に値すると判断しました。人々は罪のないお方を有罪とし、真実そのものであられるお方から目を背けたのです。

 ③暴力の訴え→死刑宣告を受けたイエス様に対して人々はつばを吐きかけ、目隠しをして殴り、誰が殴ったか「言い当ててみろ」と言ったりしました。役人達もイエス様を平手打ちにしたりしました。これは罪人の醜さ・罪深さ・愚かさそのものです。本当のことを知らない人の落ちぶれた姿です。神様を知らないことの恐ろしさです。イエス様はこのような人たちのために苦しみを耐えてくださり死んでくださったのです。

 最後にあなたの幸い・祝福のために苦しみを受け入れてくださった主を賛美し感謝しましょう。

イエス様が十字架に至るまでの一つひとつの苦しみを受け入れてくださったのは、ご自分を遣わされた父なる神様のお考えに従い、実行するためであり、あなたの救い、幸せのためであったのです。決してイエス様の苦しみを「聞き慣れたこと」にしてしまってはならないのです。

 

 

11/11ランチ(ポークカレー)

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