この全宇宙を創造された神様が、被造物である人間に対して望んでおられることは、人間と共に住むということです。しかし、神様から独立して生きようとした人間は神様と共に住むことを望みませんでした。人間の世界において、人が別の人と住むことは簡単なことではありません。親は不完全ながらも子供に愛を注ぎ育てますが、それが必ずしも子供からの感謝というかたちで報われるわけではなく、様々な理由によって一緒に暮らすことができなくなることもあります。同じようなことが、違いのある男性と女性が一緒に生活し始める結婚においても、介護の現場においても、国際的に問題となってきている難民受け入れにおいても、そしてクリスチャンの集う教会においても、起こるのは必然であり、人間が複数で共に住み続けるためには、忍耐と寛容が不可欠となります。
クリスマスが近づき、イエス様のご降誕の目的は「私達人間のため」であることに集中しがちですが、(そしてそれは真実ですが)神様が人間と共に住むためであることを見落としてなりません。イエス様は肉体をお取りになり、人としての経験をされました。(ヨハネ1:14)神が人と住まわれたのです。(罪をもった人間はそれを望まず、生活における神様の介入を快く思わないのですが)神様は人に対して愛を示してくださいます。そして、人がその愛を知り始める時に、神様を愛し、神様に従うようになります。(ヨハネ14:23)神の御子イエス様を信じた人の内には、神様が(先ず)霊において住んでくださいます。聖霊なる神様を信ずる一人一人に、そしてその集合である教会の内に住んでくださるのです。イエス様を信じたクリスチャンは神の家族となったのですから、ご主人であられるイエス様と住み続けるように、イエス様の所に居り続けるようにと言われています。(ヨハネ15:4)
人間は愚かにも神様から追放される原因を作り、悲惨な結果を招くこととなりました。しかし、神様はそれを修復してくださいました。御子イエス様をこの世界に送ることを通して、永遠に神と人とが住むことを可能としてくださいました。(黙示録21:3)毎日の自分自身の思い・考えを省みましょう。自分は神様と共に住むこと、イエス様の所に居り続けることを望んで喜んで生活しているだろうかと。