☆今日の出来事☆
●11月最初の主日。朝からシトシト雨が降り、肌寒い日となりました。色々な事情で礼拝出席できなかった兄姉がいますが、それぞれに恵んでくださいますように。
●Y先生ご家族は山梨の教会での記念集会が祝福され、無事に帰ることが出来ました。神様が20年の間成してくださったみわざを、記念誌を通して知ることができ、神様を褒めたたえます。
●姉妹方により、教会の花壇が整備されました。植えられた花々やチューリップの球根が、冬から春にかけて私たちの心を和ませてくれることでしょう。尊い奉仕を感謝します。
●W兄によって証されました。「2018年も残すところ2ヶ月を切りました。 先週、永田先生を通して 聖書の言葉が語られ、教えられまして感謝しております。その場におられなかった方もおられますから 私の感じたところを少し話させていただきます。 中心の聖書箇所はコリント前書3章1節から3節で、コリントの教会の信者たちの状態について語られました。 キリスト様に属するもの、聖徒であっても肉に属するもの、幼子、世の人のようだ。世の習慣 に影響を受けてしまっていると。 幼子は成長した人の助けが必要であるように、私も主にある兄妹姉妹の祈りと助けによって、今があると認めることができました。そして実を結んでいない自分を今年もゆるしたまえと、執り成してくださる主イエス様、御聖霊がいてくださると。 自分のなすべき分は、 罪を言い表して離れることはもちろんですが、実情を主に申し上げることです。どうぞよくしてください、悪いものを排除してくださいと、頼り頼んで進んで行けば良いと教えられました。人のできないところは神様がしてくださいます。 平安と望みを持って、一日一日を、一歩一歩 進みましょう 。 生ぬるい状態を続けるのではなく、主イエス様を熱く愛するものでありたいです。 最後にコリント前書の16章22節を読ませていただきます。“もし人、主を愛せずば詛(のろ)はるべし、我らの主きたり給ふ。”」
●礼拝の最後に聖餐式が行われました。「主の晩餐を制定される前に、主が成さった弟子の洗足は、主が奉仕者としてこの世に来られたことを示すものです。その延長線上には、ご自身のいのちを投げ出される究極の奉仕がありました。その奉仕の効果が私たち一人一人の上にあらわされたのです。この主のみわざを覚え、主に感謝するとともに、主にある教会の枝々として、互いに支え合い、助け合い、励まし合い、時には忠告し合い、”洗足”し合うことの重要さを覚えて、聖餐の式に与りましょう」とメッセージがありました。
☆本日のランチ☆