神の主権。これほどよいものはありません。そしてこれを私たちとの関係において考える時にも、素晴らしいものであることがわかります。ヨナ書からこのことを学んでみましょう。
先ず、神の主権において①神の使命が各々に与えられていることがわかります。それぞれには違った任務を与えられています。それは私たちが神様の御心を行い、神様の栄光をあらわすためです。私たちは日々の生活において、考えること、見ること、行く所、行う事柄において神様の御心を求めるべきです。ヨナは神様の御心が示されながら、それとは正反対の方向へ行きました。しかし神様のヨナに対する御心は変わりませんでした。しばしば私たちの願いは、神様のお考えと違うことがあります。ヨナ書の記事で興味深いのは嵐に遭って使命を果たそうとしたのは、預言者ヨナではなく、まことの神様を知らない人々でした。彼らは仲間を助けようとし、ヨナさえも最後まで助けようとしました。一方のヨナは同船した人々のことについて考えていなかったかもしれません。私たちクリスチャンは霊的に落ち込んだり後退していると、人々の救いについての情熱が失われてしまうことがしばしばです。ヨナは絶体絶命となってやっと神様を求めました。
ヨナは再びニネベへと遣わされ、驚くべきことにあらゆる階級の人々が神様の前に悔い改めました。それにより神様はニネベの人々にわざわいを下すことをされませんでした。ヨナは海に投げ込まれ、魚に飲まれ、陸へと吐き出されるという神様の護りと恵みを経験しながら、神様のニネベの人々に対する憐れみを覚えることができませんでした。そのようなヨナ、ニネベの人々の滅びを願ったヨナを、神様はなお憐れみと忍耐とをもって扱ってくださいました。
神の主権において②神様の前には備えがあることがわかります。神様はヨナのためにとうごまや虫や東風を備えられました。それは彼を教え訓練するためです。神様は私たちそれぞれに合ったハードルを備え成長へと導かれます。すべての事柄を(後の)必要のために神様は備えてくださいます。
そして神の主権において③神様は私たちを福音宣教のために用いられることがわかります。神様は一人一人に能力を与えご自分の働きのために使ってくださるのです。
神の主権を覚えましょう。そして神様は私たちに使命を与え、備え、宣教のために使ってくださることを覚えましょう。